「河伯」が黄河の神であるのに、なぜ日本の何の関係もない川に住むと考えられたり、女ではなく男が人柱になっているのだろうか。 / 生け贄にされた強頸と衫子の性別はどちらでしょうか? 生け贄は、女性や子どものほうが多い気がします。 

日本書紀』には、「河伯」という語は2回しか出てきません。ひとつが授業で紹介した仁徳天皇の時代とされる茨田堤の造営記事、もうひとつは皇極朝、祈雨に際して河伯を祀るとの記載が出てきます。いずれも中国的色彩の強い内容で、すなわち志怪小説など、漢籍の記述を援用して述作されているためと考えられます。よって、「河伯」は黄河の神という意味ではなく、単純に川の神を指す一般名詞として用いているのでしょう。ところで、生け贄と人柱とは厳密にいうと異なります。生け贄は学術的に「供犠」ともいい、何らかの神霊に対しその食べ物として、あるいは配偶者として人間を捧げることです(言葉としては、前者のニュアンスが強いですね)。