暗殺事件を起こした人物は何らかの処罰を受けるものだが、中大兄や中臣鎌足は処罰を受けたのか?

授業でもお話ししましたが、刑法を規定した律は、奈良時代においても規定どおりには運営されていません。律令国家は法治国家の体裁を整えていますが、その内実は天皇家と一握りの畿内豪族による専制体制であり、生殺与奪の権限も、法律以前に彼らの手に掌握されていたとみてよいでしょう。実力主義の社会との端境期である飛鳥時代は、なおさらです。中大兄と中臣鎌足がクーデターによって実権を掌握した以上、彼らを処罰できるものはいません。むしろ、彼らの行ったクーデターこそが刑罰であったのだと正当化されるのです。