庚午年籍について。それまで戸籍がなかったということは、大王の統治はどのように行われていたのでしょうか?
授業でもお話ししましたが、地方では、その地域の在地の有力豪族を国造に任命し、委託統治を行っていました。その段階では、民衆ひとりひとりに定額の租税と労役を課す個別人身支配ではなく、国造が支配地域の複数の共同体を統括し(一部は自らの私有民として支配)、その国造に王権が物品・人間の奉献や軍役奉仕などを求めるという、間接的/重層的な支配の構造が作られていました。一般の人々が地域の首長に仕えることが、そのまま王権に奉仕することとイコールで結ばれていたのです。のちに律令制で制度化される「租」などは、もともと共同体の人々が首長に対して行っていた、毎年の最初の収穫を奉献するという初穂貢上儀礼が原型であると考えられています。地域首長の支配のあり方が王のそれへと転化し、王の支配のあり方が地域首長のそれに転化する構造のなかで、古代王権の支配が実現していたのです。