蝦夷地の全容を幕府が知ったのはいつだったのでしょうか。

まずは寛永12年(1635)、幕府の版図地図作成命令に応じて、松前藩藩士村上広儀らに船で全島を一周させ、樺太にも別働隊を派遣して大勢を把握し、その成果を「正保国絵図」に反映させています。しかし画期的だったのは、授業でも触れた天明5〜6年(1785〜86)の幕府による調査で、蝦夷島の海岸線をほぼ把握、千島や樺太方面のさらに北方へも調査を拡大し、のちの直轄領化へ貴重なデータを与えました。