近代においても、首級を挙げるといった中世のような行為が行われていたのはなぜなのでしょう。近代の戦争において、リーダーを殺したうえでさらし首にする必要性があったのでしょうか。

中世から戦国期に「首級を挙げる」ことと、近世から近代初期に「梟首にすること」とは、やや性格が違います。前者は人類学的にみれば首狩りの一種でしょうが、後者はみせしめの性格が強い刑罰です。日本軍の東学党農民軍に対する措置には、早くから「見せしめ」の性格がみられ、殲滅作戦以前から、電線を切断した朝鮮人を斬殺し、遺体を吊り下げてさらすなどの行為をしています。繰り返しますがこれは「戦争」ではなく、一方的殺戮に過ぎません。日本軍としてはこれ以上の農民の抵抗を抑えるために、果断残酷な措置を繰り返す「必要」があったのでしょう。