殲滅作戦に参加した日本の兵士たちは、倫理的感覚が麻痺しているように映りますが、それほど、一般国民に対する日本政府の力が大きかったということでしょうか?

現代的な価値観で当時の戦争行為をみると、確かに「狂気」が浮かび上がってきますが、それが当時の日本の戦争の常識だったのだ、と捉えると話は変わってきます。授業でも少しお話ししましたが、明治10年(1877)の基礎史料である『従征日記』を読むと、幕末〜明治初期の戦争が、よくドラマなどで描かれるような「悲劇的で美しい」ものではなかったことが明確に浮かび上がってきます。例えば、今回の授業でもスナイドル銃の件で触れた銃弾による負傷ですが、当時の銃弾は鉛製であったために、体内に銃弾やその破片が残ると鉛害が発生し、すぐに傷のある手や足を切り落とさねばならないような情況となったようです。そのため、野戦病院などは阿鼻叫喚のありさまだったと記述されています。また、食糧難のために、死んだ兵卒の屍体が獣の肉と偽って切り分けられ、配られていたとのエピソードも出てきます。また、さらに遡って19世紀の百姓一揆などをみると、それまで一定の作法のもと抑制的に行われていた一揆が、貧富の差の拡大や領主への不信感から暴力化し、これを鎮圧する側も過激になって、相互に殺戮を行うような情況になっていたことが確認されています。東学党農民殲滅は、帝国日本が国内の暴力情況に「近代戦」の衣を着せ、朝鮮半島に持ち込んだ事件といえるかもしれません。