当時の作戦の遂行過程において、現地の人とは何語で話をしていたのでしょうか。

通訳がいました。朝鮮王朝においては、通訳官養成所において日本語の書物が翻訳され、日本語の研究も行われていました。同時に日本でもハングルの読める知識人はおり、福澤諭吉門下の井上角五郎などが、ハングルによる新聞の発刊を援助しています。日本軍の行動には当時の朝鮮政府が協力していましたので、何らかの通訳ができる人物は従軍していたでしょうし、そうでなくとも、互いの基礎的教養である漢文を通じての筆談は可能であったはずです。