2010-07-16から1日間の記事一覧

オシラサマという名称は馬と関係なく付けられたのでしょうか。 / オシラサマの神話において、主人公が馬であることは何か意味があるのでしょうか。蚕と馬とは結びつかないのですが。

オシラサマという呼称蚕の影響でしょうが、その存在自体は、遠野で養蚕が始まる江戸中期以前に遡るようです。近年では赤坂憲雄氏らによって、アイヌのイナウや、さらに北方の民族宗教と結びつくアジア的広がりが指摘されています。また、馬と桑・蚕との繋が…

狐との婚姻譚に関して、後の時代には人に化けられるのが狸、狐、猫に限られてくるのはなぜでしょうか。これらの動物が特別視されるファクターとしては何があるでしょうか。

いわゆる魔物と位置づけられる動物ですね。その背景には、彼らが里と山とを行き来する(猫の場合は、里にいながら突然姿を消す)境界的存在であるとの認識が隠れています。人間生活において身近な存在でありながら、一方で理解しがたい未知の面も持っている…

『霊異記』上2に、犬の生まれた日が明記されているのはなぜですか。

子供の誕生日を記さないのに犬の誕生日を記すのは笑いをとるためだ、という説もありますが、一歩踏み込んで考えたいものです。12月には、追儺や大祓など魔や穢れを祓う儀式が行われるうえに、15日は四天王(もしくはその太子や使者)が天下を巡行する六斎日…

『霊異記』上2の「能き縁を求めむとして行く女なり」とは、占いの一種を意味しているのですよね?

『霊異記』上10に、路上でたまたまゆきあった僧を勧請して供養をしてもらうという、やはり同じような占いの一種がみえます。路上という公の場は神仏の力が働く空間でもあるので、それに託して吉を得ようとする方法ですね。『万葉集』にみえる橋占や、辻占な…

ブリコラージュ的営為とは、鎌倉以降の中国文化の消化と再構築を指しているのですよね?

鋭いですね。そのとおりです。例えば鎌倉仏教の成立などでは、この問題が非常に大きく作用しています。例えば親鸞は、『大宝積経』巻第17/無量寿如来会第5-1の、「心或不堪常行施、広済貧窮免諸苦、利益世間使安楽、不成救世之法王」というくだりについて、…