2014-12-01から1ヶ月間の記事一覧

『日本書紀』で聖徳太子がまつりあげられる意味は何だったのか。蘇我氏が実質的に政権を担うという記述だと、ナショナル・ヒストリーにどんな不都合が生じてしまうのでしょうか?

『日本書紀』は、大化改新で政権を奪取した中大兄王、のちの天智天皇の政権を正統とする視点から書かれています(壬申の乱でクーデターを起こした天武政権も、天智の遺志を受け継ぐことを標榜しました)。つまり、乙巳の変で討ち滅ぼされた蘇我氏が正統とし…

歴史書の作成=文明国であることの証拠とのことでしたが、その歴史書の内容が、実際の出来事と一致するかどうかは、とくに問題にはならなかったのでしょうか。

神話や伝承は、時代を通じ、その当時の価値観や考え方の相違を反映して、意味や内容を変化させてゆきます。すなわち、常に現在主義的なのだといえるかもしれません。東アジアの歴史記述は殷代から始まりますが、卜占に関連して、王の一挙手一投足が記録され…

唯一の史料である『古事記』『日本書紀』の信頼性が低いとすれば、聖徳太子だけではなく、その時代の史実とされていることすべてが間違っているかもしれないということでしょうか。

上にも書きましたが、必ずしもそうはなりません。授業で示したように、『日本書紀』を批判的に用いることで明らかになる事実もあるのです。例えば、崇仏論争は漢籍や仏典の引き写しとして、『日本書紀』の描く物語は虚構であることが判明しています。しかし…

『日本書紀』のように大きな問題のある文献が多いなかで、それでも当時のことを知るためには文献を頼り、批判することもまた文献に依拠するとすれば、歴史の真実を見出すことは可能なのかという疑問が浮かびます。

要するに、何を「史実」とするかという問題です。例えば、ぼくが批判的に行った、「聖徳太子は厩戸王を誇張的に描いたものだ」という指摘も、史実を叙述したことになるわけです。例えば『日本書紀』にしても、中国や朝鮮の史料、出土文字資料や同時代史料と…