よく「平安時代は寒かったため、重ね着をしたことで十二単が生まれた」と聞きますが、古気温曲線をみる限りそうはいえないように思いました。実際はどうなのでしょうか。

寒冷化に適応した衣裳ではないでしょうね、寝殿造の構造からみても、当時は温暖であったのです。十二単は、薄い絹を何枚も重ね着し、その裏・表の色合い、襟元や袖口からみえる諸色の取り合わせによって、個性やセンスを表現したものです。経済的な意味では、やはり王朝貴族の奢侈の一面を表現するもので、社会的な意味では、家が「作品」としての娘をプロデュースするひとつの装飾であったともいえるでしょう。家と女性との関係からすると、禁令が出されるほどに重ねられた衣裳の重さは、女性の身体的自由を奪うものであり、女性性の収奪であったとも考えることができるかと思います。