2008-04-14から1日間の記事一覧

都内にも「茅場町」という地名がありますが、そこも昔は茅場だったのでしょうか?

本来の茅場ではなかったようですね。江戸城の拡張工事に際して、それに用いる茅材を供給した専門の商家を集住させた場所である、というのが通説であるようです。

最後の映像の山にあった「大」は、大文字焼きの「大」なのですか。

そうですよ。如意ヶ岳の五山送り火の「大」ですね。これがはっきり現れているとなると、『再撰花洛名所図絵』の「東山全図」は、初夏から盛夏にかけての風景ということになるかも分かりませんね。

日本の伝統がいいか悪いかなんて、その人が何を大切に思っているかで変わってきてしまうと思う。はげ山が間違っているものともいえない。人間の必要のためであったなら、私たちが先代の人間を否定できないと思った。

それはそうですね。歴史学は過去を断罪するためのものではなく、事実を確認して問題点を浮き彫りにし、未来へと繋げてゆくための学問です。この講義でも、「過去の人々は悪かった」という結論ではなく、私たち自身のありようを反省し、将来へ役立てる糧と考…

多くの日本人が里山を伝統的な景観と誤解してしまったのには、どのような原因が考えられるでしょう。

ひとつには自然の回復力によって開発の痕跡がすぐに癒えてしまうため、日本人の歴史意識が極めて脆弱になったこと。もうひとつは、おそらくは第二次世界大戦の影響でしょう。戦時供出によって多くの山がはげ山になっていたため、戦後、国の政策もあって積極…

実際、まったく人の手が介在していない大自然の光景は、もっと野性的で感動より畏怖を感じさせるものだった。「きれい」や「愛着が持てる」〈自然〉というものは、やはり50〜60年前の光景、人が懐かしさを持つのにうってつけの光景なのだなと再認識した。それでも里山の風景は、地方の愛すべき風景であったりもする。

そうですね。なぜそうした新しい景観にぼくらが懐かしさや愛着を感じるのか。そうした心性はここ40年ほどの間に作られたものなのか、もしくは逆に親しみやすい景観を意図的に作ってきたのか、そのあたりが問題です。

当たり前だと思っていた自然豊かな風景が昔にはなく、むしろはげ山といった荒んだ風景であったというのにすごく驚きました。よく時代劇で森の中の決闘というのがあるけれど、あんな情景はなかったのでしょうか。山に身をかくすことはできませんね。

少し薬が効きすぎたかも知れませんが、日本の山々がすべてはげ山だったわけではありません。あくまで農村や都市の周辺ということですね。人里離れた奥山などには、とうぜん、楠や檜、櫪、楢、ブナなどの大木が生えていました。スクリーンに移した正保年間の…