2008-06-20から1日間の記事一覧

〈描く〉ことで鎮祭するという宗教的実践は、中国から伝わってきたものなのですか。

これは恐らく、仏教の修行のひとつで浄土教にも強くみられる〈観想行〉に由来しています。詳しくは最近書いた、「礼拝威力、自然造仏」(『親鸞門流の世界』法蔵館、2008年)を参照してください。仏や浄土の世界を現実にあるかのように思い浮かべる、そして…

郎女が海のなかでみつけた白珠を、途中で放してしまうのはなぜですか。生者と死者は一緒にいられないという暗示でしょうか。

あれは、川本喜八郎の表現が、原作に追い着いていない箇所といえるかもしれません。打ち寄せる波のなかを通る一本の道は、浄土教でいう二河白道を表しているのでしょう。それは、燃えさかる炎と逆巻く波のなかにか細く通る救いの道です。郎女はその道のうえ…

大津皇子のように非業の死を遂げ、罪人として葬られている人が、神々しくみえたのはなぜですか。

あれは南家郎女の主観ですね。物語のなかで触れられていましたが、彼女は藤原氏の氏神に仕える巫女であり、怨霊=祟り神となっている大津皇子に取り憑かれてしまっています。神婚譚では、神の訪問を受ける女性は、神を必ず〈美しい男性〉として認識していま…

大伴家持と恵美押勝の会話の意味がよく分かりませんでした。藤原南家郎女が仏の名を称えると、大津皇子が去ってゆく理由が分かりませんでした。

ここは、一級の文人でもあるふたりが文学談義をしている場面ですね。やがて話題は南家郎女のことに移りますが、彼女は神に仕える巫女になる女性、「神のもの」なので手が出せないという結論に至ります。しかし本当のところは、二人とも郎女に心が残っている…

大伴家持の衣に朱雀の文様がみえました。都の朱雀大路もそうですが、なぜ朱雀だけが特別視されるのでしょう。

必ずしも特別視されているわけではないと思います。都の朱雀大路は、北方にいて南面する天子の、その南方に伸びている通りなので、南方の守護神の名を取って呼ばれているに過ぎません。ただし、図像として極めて優美であり、極楽にいるという仏教の鳳凰など…

物語のなかで出てきた、弓張りや足踏みといった行為は、一体何の意味があるのでしょう。

講義の最後にもちょっとだけ触れましたが、二つとも辟邪の機能を持つ呪術です。前者はあずさ弓といい、みえない矢を放って邪霊を威嚇します。後者は反閇といい、中国の治水王禹が全土を遍歴した際の歩みを真似たものです。大地を鎮祭し、行路の魔を祓います…