2010-05-31から1日間の記事一覧

補陀落渡海のようなものは、平安以降は流行しなかったのでしょうか。

補陀落渡海について、その後、水葬や人身供犠などへ姿を変えていったことはあるのでしょうか。

補陀落渡海について、何かの本で「補陀落浄土」と浄土信仰と混同して書かれていたのを覚えています。実際に、この2つの信仰が結びつくことはあったのでしょうか。

浄土信仰は、必ずしも「極楽浄土」だけを指すわけではないのです。例えば『阿弥陀経』などでは、東・西・南・北・上・下の六方にそれぞれ異なる浄土が設定しています。いわゆる阿弥陀如来の極楽浄土は西方に位置しますが、東方には薬師如来の瑠璃光浄土が存…

ヤマト王権にとって、関東や東北も、紀伊や出雲と同じように境界として認識されたのでしょうか。

境界は境界でしょうが、出雲や紀伊とは少々位置づけが異なります。早い時代においては、ヤマトにとって、東国は「肥沃で強力な人々の住む土地」と見られていたようです。中華思想の導入によって「夷狄」概念が当てはめられ、その文化は差別的に扱われてゆき…

橘諸兄も藤原氏と密接な繋がりがあったということは、藤原氏の影響力は衰えなかったということでしょうか。

むしろ、藤原四子が相継いで死没してしまったので、それを補うミウチ勢力=四家の代替要素として諸兄を昇格させたとみるべきでしょう。藤原氏の司令塔は消失し、光明皇后だけしか残っていませんでしたので、四子の次の世代が育ってくるまでの間、それこそ中…

史料13で、聖武天皇が橘諸兄を誉めているのは、諸勢力の流れをよく読んでいるということなのでしょうか。

詔勅の内容がどれほど天皇の個人的意図を反映しているかということは、史料ごとに充分考えてみなくてはなりません。史料13の場合は、草壁皇統を維持するミウチ的まとまりの総意といえるでしょう。公卿の席は限定されていますので、橘氏が有力な立場を維持し…

五世王が皇親としての待遇を受けられなくなることは分かったが、臣籍降下して何かメリットがあったのだろうか。

橘諸兄の場合は、すでに聖武や光明子の意向を受けているので、朝廷内へ恒常的に公卿を輩出しうる家を構えられるという期待があったのでしょう。姓も後に朝臣へ改姓されていますし、賭には成功したといえそうです。

姓は何を意味するものなのでしょうか。

「姓」には、真人、朝臣、宿禰、忌寸、臣、連、造…などがありますが、これは氏族と王権との関係、奉仕の来歴を示す称号です。その姓自体に、氏族の基本的な属性、いかなる職掌によって王権に供奉してきたかなどが分かるようになっています。つまり、ウヂナは…