現代オカルティズムを囓っていた宮澤賢治が、北方に行けば死んだ妹と交信できる、と考えた理由は何でしょうか。

これは、近代オカルティズムというより、もっと伝統的な思考との関係で考えたほうがよいかもしれません。東北地域は、近世から近代にかけて数々の深刻な飢饉にさらされますが、その大部分は寒冷地における無理な稲作の展開です。寒冷な気候を象徴する北という方角は、やはり忌むべき位置づけをなされていたでしょう。また、宮澤賢治は熱心な法華持経者でしたが、釈迦が涅槃に入るときの姿勢である頭北面西は、葬儀の際の北枕に反映されています。東アジア世界に共有される鬼門、いわゆる丑寅の方角が冥界の門に当たるとの考え方も、どこかに入り込んでいるかもしれません。また、近代科学の信奉者でもあった賢治が地球を思い描いたとき、「天上」があるならば北が最も近いはずだ、と認識したとも考えられます。