2009-07-20から1日間の記事一覧

レポートは、メールに添付して送ってもよろしいでしょうか。

「送ったのに受け取っていない」という誤解の生じることがありうるので、原則としてプリントアウトしたものを提出する、ということにさせてください。もし何かやむをえない事情があれば対応します。

律令制によって、実際に民衆を統治することはできたのでしょうか。また、統治される側の民衆の認識はどうだったのでしょう。

まがりなりにも統治は成り立ち、国家は運営されてきたので、支配機構として一定の役割は果たしたと思われます。古代などの古い時代になると、支配者と一般民衆との間にはずいぶん距離があるように思われがちですが、例えば条例などを知らせる告知札木簡など…

古代の役職について分からないことがあるのですが、何を調べればいいでしょう。

古代の官職について調べるのなら、阿部猛編『日本古代官職辞典』が便利です。律令の条文に則した職務内容・人員・制度の変遷などの概説に、現在の研究情況や主要参考文献も付されています。

藤原四子の死没の件ですが、当時の生活様式は疫病など蔓延しやすいものだったのでしょうか。

当時の木簡などには下級官人の病による休暇願も多く、衛生的には整った環境ではなかったことが指摘されています。天然痘は飛沫感染や接触感染で、貴族たちは病者には近寄らない措置をとったはずですが、宮廷や邸宅などでは多くの下級の職員を抱えていたため…

長屋王の生活はぜいたくで夏は氷を食べていたと聞きます。氷はどのように作ったのでしょう。

冬に出来た天然の氷を、氷室という貯蔵施設で保管し、夏に利用していたのです。氷室は山中の洞窟などを利用しますが、地下水の気化熱などで外よりも冷涼であるため、氷をある程度保存することができたのです。長屋王の利用していたのは都祁氷室だったようで…

当時、死者を火葬するのには多くの手間暇がかかったといいますが、長屋王と子供たちの屍骸を「焼き砕いて河に散らし海へ流し」たというのは、案外王への敬意の表れだったのではないでしょうか。

丁重に扱おうとすればそれなりに手間がかかりますが、廃棄する前提で火葬にするなら簡単です。人体にもずいぶん脂分がありますので、ある程度火がつけばよく燃えるのです。中国雲南省の少数民族では、今でも村の傍らの畑で死者を火葬にしています。

史料12に長屋王の最期が描かれていますが、子供たちのことは書いてあるのに、吉備内親王の記述がないのが気になりました。

そうですね。『霊異記』撰者の景戒は宮廷と関わりのある人ではありませんが、長屋王事件がなぜ起きたのかは正確に把握していたのかも知れません。つまり藤原四子が狙ったのは、皇位継承権のある長屋王と、吉備内親王との間に生まれた皇子たちだったというこ…

史料10が気になりました。密告者が殺されるというのは、何か都合の悪いことがあったのでしょうか。

大伴宿禰子虫が長屋王の冤罪を疑っていなかったとすれば、中臣宮処東人はまさに虚偽の密告をした犯人として許せなかったことでしょう。配下に慕われた長屋王の一面が分かる事件とはいえ、これ自体は個人的な恨みによるものでしょうが、それを『続日本紀』が…

作宝楼の存在が気になります。レジュメに「神仙境的位置づけ」云々とありますが、神社でもないのにそのような場所が作れるのでしょうか。

古代日本においては、古墳時代中期から水の祭祀が極めて重視されていました。聖なる山の麓の湧水点を祭祀したり、あるいは川などから濾過した浄水を邸宅に引き込み、外から遮断された空間で秘密の祭祀を行ったりしました。その方式は飛鳥時代以降の宮都にも…

元明女帝は孫の首皇太子を幼少であるとして、娘の氷高内親王に譲位した。しかし持統女帝は、その頃の首と同年齢だった珂瑠皇子を即位させている。この違いは何なのだろう。

講義でも少し触れましたが、私見では「不改常典」、すなわち現天皇が後継者を指名する形式を徹底させるためと理解しています。古代日本の皇位継承法は時代によってずいぶんと揺れがあり、そのことが候補者間の内紛を誘発することに繋がってきました。持統・…