2010-12-20から1日間の記事一覧

老婆の履いた高下駄は排泄のためのもの、との説がありましたが、当時の民衆たちはどこで排泄をしていたのでしょうか?

公的場所である往来では憚られたでしょうが、少し外れた野原や通りの隅では普通に排泄がなされていました。水路にも様々な汚物が廃棄されていましたし、人や獣の死体が通りに打ち捨てられていることもあったので、平安京の悪臭は大変なものであったと思われ…

高畑勲が指摘したというカットバックですが、あれは結局一種の異時同図なのですか。

門を境に異なる場面転換が起こり、異なる構図になっていると考えればカットバックではありません。門を中心に左右を同図とみた場合、カットバック的な異時同図と捉えられるでしょう。

後白河のサロンの人々は、『伴大納言絵巻』をみて、描かれたこの人物は誰だとか、これは異時同図だとか、現在と同じような解釈はできていたのでしょうか。絵巻が完成したとき、執筆者によるお披露目などは行われたのでしょうか。

勅撰の書物等は多く献上の儀の類が行われていますので、絵巻の場合も、画師による説明を冠したお披露目の儀式は開かれたと想像されます。とくに、後白河が注文を付けたものであれば、それがきちんと果たされているか、どういう形で実現されているかなどの確…

彩色の剥落は指を指すなどの行為の結果であると学びましたが、このような絵巻はどう保存されていたのですか?誰もが簡単に閲覧できたのでしょうか。

後白河のサロンで作成された絵巻の場合は、やはり彼らが読むべきものだったと思われます。当該サロンのなか、一人もしくは複数で語らいながら読まれたのでしょう。指さしなどが行われたとすればその折のもので、そこから傷みが進み、湿気や経年変化にさらさ…

絵巻が傷んだからといって、丸ごと切り取ってしまうものなのでしょうか。

やはりそれは特異なことでしょう。それゆえに、詞書きの丸ごとの欠損や無理のある繋ぎ合わせ、頭中将の全体的切り取りなどに、政治的な理由が垣間見えるのです。いずれにしろ、この「受容史」については今後の検討課題でしょう。

伝統的解釈では「悲嘆」を表すとされたものが、近年、一部にせよ全く正反対の解釈をされるようになったのはなぜなのでしょうか。

文献史料においても、時代によって同じ書物や記録の解釈が180度転換するということはあります(例えば、近年の『日本書紀』批判などを参照)。しかし、絵画の場合はより抽象的・象徴的なので、解釈に委ねられる幅が大きく、そのため文献史料以上に大きく位置…

絵に描かれたことは史実の証明になるのでしょうか。

絵巻に関していえば、例えば『伴大納言絵巻』のようなものの場合、それが扱っている応天門の変に関して確たる史料になるかといえば、それは無理でしょう。時代を隔たった300年余り後に、その時代の解釈・感覚で、また史実を明らかにするのとは別の目的をもっ…