2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

土偶には男性のものもあるのでしょうか。あったとすれば、どのような目的で作られたのですか。

例えば、岩手県盛岡市川目から縄文後期〜晩期、北海道千歳市蘭越から縄文晩期の、男性性器を持った男性土偶が出土しています。講義では土偶祭式の話をしましたが、もちろんすべての土偶がその仮説で説明できるわけではありません。ほとんど損壊されない状態…

女性器と並んで男性器も崇拝されていたということですが、そちらも生み出すものとして考えられていたのでしょうか。

女性器とセットとして生命力を生み出す源とみられるとともに、やはり男性の力強さの象徴と考えられたのでしょう。講義では限られた写真等しかおみせしていませんが、生殖器崇拝は縄文に本当に顕著にみられるものの、それ以降の時代にも着実に受け継がれてゆ…

環状集落において、墓域が周縁から中心へと移動したとのことですが、当時は幽霊などの概念はなかったのでしょうか。現代では死者=畏怖というイメージですが、当時は死者=神聖だったのでしょうか。

講義でもお話ししたように、縄文期にも死者を恐れる意識は存在しました。しかし、その死体をあえて集落の中心へ移動させたのは、死者に対し恐怖を越える社会的機能を見出したためでしょうね。それだけ、集落や共同体の結集が必要であったということですから…

ストーンサークルから分かる死生観が興味深かった。大湯遺跡の件ですが、当時の人々は夏至を認識していたのでしょうか。また、夏至には何か意味があるのでしょうか。

暦を持たなかった縄文時代の人々が、現代でいう夏至にいかなる認識を持っていたかは分かりません。しかし、大湯遺跡での計測が事実ならば、それによって、「何らかの特別な意識」を抱いていたのだと知ることができるわけです。狩猟採集社会に生きていた彼ら…

祖先とは、自分の何代前までの人を指すのでしょうか。亡くなった親族が、それぞれの地域での回忌を終えると祖先となると聞いたのですが。

回忌終了云々との説明は、50回忌を終えた死者は個体ではなくなり、霊界(山など)に入って祖霊と一体化するとの考え方ですね。確かに、柳田民俗学などではそれに類する形で解説されますが、それが唯一の考え方というわけではありません。「祖先」や「先祖」…