2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

四隅突出型墳丘墓などには、何か祭祀的な意味はなかったのでしょうか。

高坏や壺などが出土していますので、何らかの墓前祭祀は行われていたと思われます。それが単なる喪葬儀礼の一種なのか、あるいは神人共食の直会なのか。詳しいことは判明していません。しかし、プロジェクターで映した西谷3号墳からは、吉備の特殊器台・特…

青銅器の製作は、各集落ごとに行われていた形跡があるのでしょうか。それとも、一部のムラが製作を担っていたのですか。

鉄器と同様、すべてのムラで青銅器が製作されていたわけではありません。青銅の材料である銅・錫を大陸・半島から入手しやすい場所(そういった氏族とネットワークが築かれている場所)で、しかも鋳造・加工技術が発達しているところですので、空間的に大き…

銅鐸が祭祀目的に使用されていた根拠とは、何でしょうか。普通に鳴らして使われていた可能性はなかったのですか。

まず古代世界あるいは民族世界において、もともと音楽が、神を招く環境を作り出す道具であったことが挙げられます。現在でも、そのジャンルに関わりなく、音楽は一種の陶酔状態をもたらします。シャーマンに神霊が憑依するような心理状態を生み出すのに、音…

言語によって世界が形成されると考えてみると、その国々や民族によって言語が異なるという問題に引っかかってしまう。歴史を語ろうとするとき、その言語ごとに違う世界観が生じることになりはしないか。 / 言語の種類の相違も、総体的に歴史に作用するのですか。つまり、「フランス人と日本人とで享受する世界は違う→歴史が変わる」ということですか。 / ある程度言語を習得できた人がなかなか英語等を自分のものに出来ないのも、言語によって既に世界が作られていて、英語→日本語→認識という手順を踏んでいるためなのでしょうか? / フ

そうです。使用する言語が違うと、世界は違うものになってしまうのですね。これを説明するうえでよく用いられるのが、「虹の色数」に関する話です。日本では虹の数は七色であり、普通我々は虹を七色のものとして認識しています。しかし言語体系の異なるある…

言語についての話で、ウィトゲンシュタインの言語ゲームのことを思い出した。人間は言葉によって世界を認識するが、その言語を定義づけるためのルールも必要だ。そのルールは言語で説明できるものではなく、個人の認識に基づくもので、結局認識が先立つのではないか、と思ったが分からなくなりました…。

そうですね、先後関係で考えると分からなくなりますね。だいたい、言語を用いない認識の状態は、言語を使用できる状況にある我々では、なかなか想像することが難しい。言語を単に日本語、英語、中国語…といった分節言語で考えるのではなく、ランガージュ(言…

青銅器を大量に出土した遺跡が島根県に集中しているのは、出雲の神話的風土と関係しているのでしょうか。

奉献説や贈与説は間違っていないと思うのですが、出雲についてはそれとともに、早くに青銅器祭祀を放棄して墳丘祭祀に移行した点も併せ考えるべきなのでしょう。近畿や北九州に比べ、山陰では早期に四隅突出型の墳丘や特殊器台を用いた祭祀形式が採用され、…

青銅器は壊れやすいので実用に向いていなかったと習いましたが、それは関係ないのでしょうか?

あくまで鉄器に比べてということで、とうぜん石器や木製品より丈夫です。列島で使用され始めた頃の青銅器は、武器は刃の部分も小さく鋭く研磨がかけられていたり、銅鐸は内側に舌が付いていたりその痕跡が認められるので、明らかに実用品だったと考えられて…

「八百万の神」という考え方は、いつ頃から始まったのでしょうか。

「八百万」の言葉が確認されるのは8世紀段階ですので、厳密には7世紀前後の開始とみるべきでしょう。当然、森羅万象に精霊的存在をみるアニミズムは縄文時代から行われていたと思われますが、「八百万」の思想は、神々の間に天神/地祇の区別を設け、ある…

今ある神社は、すべて独立棟持柱を持っているのでしょうか。 / 弥生時代の建物は、どのように復原されたのでしょうか。なぜ独立棟持柱があると推定できたのですか。 / 日本に巨大建築を建てるほどの巨木があったのでしょうか。

独立棟持柱を有するのは、伊勢神宮の社殿に起源する神明造の神社建築です。これを神社建築の古態と考え、その原型を弥生の巨大建築にみるのが「弥生神殿論」です。池上曽根遺跡の巨大建築は、遺跡に残る柱穴や、各種の土器絵画などを参考に、現在の姿を想定…

韓国では旧石器時代にドルメン、すなわち石への信仰が存在していましたが、日本にはそういった遺跡・遺構はないのでしょうか。

以前に紹介したストーンサークルは、ドルメンの一種ということができるでしょう。古墳時代になると、神を招く場所、神の宿る場所として巨石=磐座が広く認識され、歴史時代の神社の原型のひとつを形成することになります。山水を背景に持つ古代神社の多くは…

穂落神として崇められたというツルと米との関係について、「ツルも米も白いもの」というのは、米が精米された情況でのみ成り立つ連想ではないでしょうか。弥生時代から精米の技術はあったのでしょうか?

日本列島において穂落神として確認できる鳥はツルですが、講義でもお話ししたようにこれは中世になってからの話です。考古学ではこれを銅鐸・土器絵画の長頚・長脚鳥に援用し、ツルやサギであるとの解釈を持ち出しているわけです。中世のツル信仰は、精米さ…

平安時代には宮廷などで愛玩動物を飼っていたようですが、ペットという概念・嗜好はいつできたのでしょうか。

人類の歴史上、最も早くに家畜化されたのはイヌであるといわれています。彼らは狩猟のパートナーとして、または住居や村落の守護者として、人間と「共生」してきました。縄文時代の貝塚から発見される犬骨には、例えば肋骨・四肢骨が折れて癒着した痕跡のあ…

弥生になって鳥や鹿が信仰され始めると、猪や蛇は信仰されなくなったのでしょうか。

猪や蛇に対する信仰は、古墳時代以降も確認されますので、目立たなくはなっていますが、まったく消えてしまいはしなかったと思います。銅鐸絵画にも、鹿に比べれば圧倒的に少数ですが、猪が描かれる例が存在します。土器絵画には、龍のような正体不明の物体…

鹿と弓を持った人物が描かれている2枚の銅鐸絵画のうち、左側の絵の方には鹿に角がないようにみえます。何か意味があるのでしょうか。

角のない鹿についても、かつて論争がありました。1つの説は、これを角が生え替わって抜けた春の状態を指す、とするもの。もう一方の説は、角のない鹿とある鹿が同時に描かれる例があり、角のない鹿には子鹿が付いていることが多いところから、これを牝鹿で…

日本人は肉を食べるようになって体格が大きくなったと聞いたことがあるのですが、肉食が普通だったということは、ただ単に栄養状態がよくなった結果大きくなったのでしょうか。

肉食が忌避されていなかったといっても、現在のように毎日毎日肉ばかり食べられたわけではありません。それは贅沢なご馳走であり、また滋養強壮などの薬用であって、狩猟によってはまれにしか食べられなかったのです。現在のような供給体制が整備され、日本…

古代というと見境なく動物を狩猟するイメージがあるが、それでも動物表象が神聖視されていたりして驚いた。

狩猟採集社会には「動物の主」という概念があり、人間が捕食対象とする動物のリーダーが、人間との契約に基づき、祭祀などと引き替えに皮や肉を差し出すとされています。そうしたアニミズム的考えのもとでは、食べる動物と信仰する動物との間に差異はありま…

西日本がいち早く大陸の文化を受容できたのは、やはり位置的に大陸に近いところにあるためですか。

もちろんそうですが、気候・環境的に近似していたのも原因でしょう。西日本の植生は照葉樹林帯を中心としたものですが、これは朝鮮半島南部から中国大陸南西・南東部へ伸びてゆき、文化・社会のありように共通性を保持しています(照葉樹林文化)。稲作はこ…

どの程度の渡来人が来ていたのでしょう。それほど大量の人数がやって来るほど、航海術が確立されていたのでしょうか。

渡来人の規模の算出については、まず遺跡や遺物から推定される弥生時代の人口、飛鳥時代の人口を基礎に、農耕社会や狩猟採集社会の人口増加率を割り出して内的増加数を計算し、これと飛鳥時代の人口との差を渡来人の数量として埋める方法を採っています。極…

縄文時代の埋葬法で、再葬していたことが分かるのはどうしてですか。

遺体をそのままに埋葬すると、それが何者かによって攪乱されない限りは、人体の形状や各部の繋がりが窺えるような状態で出土しますし、その大きさに合わせた穴が掘られたことも、層土の様子から分かります。しかし、白骨化したあとに掘り出されて再葬された…

日本の古代の「表」は、紀元前のことを「B.P.」と書くのはどうしてですか。キリスト教ではないからですか。

講義でもお話ししましたが、「B.P.」は「Before Present」の略で、紀元前の意味ではありません。放射性炭素同位体を使った年代測定のように、結果が「現在から何年前か」を指すときに用いる単位です。

歴史学と考古学の違いとは、具体的に何ですか。

歴史学は主に「書かれたもの」である文献史料、考古学は「出土したもの」である遺跡や遺物を研究対象とし、それぞれ歴史的事実、歴史像を描き出してゆきます。歴史学に「史料批判」と呼ばれる史料の読み方、方法論があるように、考古学にも、モノを扱うため…

今回の質問は、私の方から回答をしない方がよいものばかりでした。しかし、受講者で共有しておくべき意見が多くありましたので、ここに掲示しておきます。歴史の物語り論、実証主義の意味についても質問がありましたが、これは講義のなかで解説してゆきます。

○歴史学・歴史理論は、「歴史の繰り返し」を克服するためのものだろうか。「歴史の繰り返し」は、多元主義的論理によって本当に克服しうるものか。多元主義の立場に立つとして、では「決断」はいつ下すのか。「決断」を下すという行為は、やや「暴力的な立場…

沖縄の亀甲墓はやはり女性の胎内をイメージしたものと聞きましたが、縄文時代の〈死と再生〉の信仰と関わりがあるのでしょうか。

〈死と再生〉の信仰は、世界中のあらゆる文化に痕跡を認めることができます。後に詳しくお話ししますが、古墳時代の古墳、とくに前方後円墳の形状などは、中国の神仙思想と密接に関わっています。あれは死者が神仙として復活するための施設であり、それゆえ…

縄文時代にも乳幼児の死亡率は高かったと思うのですが、水子供養のようなものはすでに存在したのでしょうか。

講義でお話しした、竪穴式住居の入り口付近に埋納する形式など、まさに一種の水子供養だといえるでしょう。

屈葬が胎児を象ったものとすると、頭の位置などはとくに意識されていたのでしょうか。 / 骨を折るほどに身を屈めたのは、胎児の大きさに戻すためだったのでしょうか。

屈葬については、身体を丸めることに意義があったようで、それ以上に特別な姿勢は要請されていないようです。問題は、縄文期を通じ屈葬から伸展葬への移行が認められること、東日本は屈葬、畿内など中央部では伸展葬、西日本では二分化との地域的相違もみら…

貝塚から人骨が出土するケースがあるのは、「投棄した」ということなのでしょうか。それとも「埋葬」なのですか。

投棄されたものもありうるでしょうが、大部分は、埋葬された形のものです。貝塚は確かにゴミ捨て場ですが、近現代で考えるそれとはやや異なっており、埋葬穴を掘る、土器棺を用いるなどして、人骨を埋葬する場所としても使用されていたのです。これはやはり…

縄文時代のように性の信仰が強い時期には、子供を生み出せない男色はタブーであったと思います。ならば、日本で男色が始まったのはいつ頃だったのでしょうか。

(私は詳しくないのですが)一般には、寺院において少年を女性の性的代替物としたことから始まったとされており、女性の穢れが強調されるようになると、男色こそ清浄かつ崇高な恋愛であるとも考えられるに至ったようです。僧侶の女犯は戒律で禁止され、僧尼…

土偶を破壊していたのは男性だったのでしょうか。 / 女性の生殖器を象った土偶もあるそうですが、作成したのは男性だったのでしょうか。

土偶祭式説を唱えた水野正好氏は、女性土偶の作成やその祭式を担ったのは女性自身であったろうと考えています。まず民族社会においては、土器作成は一般的に女性のジェンダー役割であることがヒントになっています。また、土偶に生命エネルギーが宿るのは、…

〈殺された女神〉の神話は東アジア、東南アジアに広くみられるとのことですが、同じように「土器を破壊する文化」もみられるのでしょうか。

土偶祭式説に則って土偶の破壊について考えた場合、それは一種の供犠の意味を持つことになります。ハイヌヴェレ神話自体、彼女が排泄物から生み出す種々の宝物を狙った男たちによって、彼女は殺されてバラバラに切り刻まれ、その身体の各部より栽培作物が生…

縄文時代の人々は、妊娠のために精霊信仰を行っていたということでしょうか。 / 土偶は、自分の身体の悪いところを壊して治癒を願う呪いだったと習ったのですが、この説は間違っているのでしょうか。

必ずしも妊娠のための信仰、というわけではないですね。土偶が妊娠する姿が多いのは、あくまでそれが生命力に充ち満ちた状態の表現だからです。妊娠を祈るというより、妊娠自体を象徴的に捉えているということです。また、自らの治癒のために土偶の患部を壊…