2017-11-22から1日間の記事一覧

遣唐使任命について、藤原時平が道真を排除するために補任したとの説を聞いたことがあります。中国情勢だけでなく、日本国内の政局を意識した論があまりないことに違和感を覚えました。先生は、遣唐使廃止の原因に権力闘争が絡んでいたとお考えですか。

宇多〜醍醐朝の朝廷では、変転する社会に対応する新制度を創出すべく、寛平・延喜の国政改革が進行していました。具体的には、機能しなくなった戸籍・班田を基礎とする人頭税を改め、税目を定数化・変成替えして田率賦課する土地税に基づく、王朝国家体制へ…

遣唐使派遣中止の実相がよく反映していないとのことですが、道真の建議にある僧中灌の報告によれば、そのプロセスは容易に想像できるのではないでしょうか。

問題は、ある程度信頼できる中止の史料が、『菅家文草』収録の建議書しか見出されていない点です。道真は渡航の不安のほか、唐の政治的・社会的混乱を挙げて、派遣を公卿で審議するよう提案しているのですが、残念なことに、彼の建議が取り上げられて朝廷で…

国風文化というタームの成り立ちには、より誇らしい国家イメージを教育したい人々の願望がみてとれるが、そう考えると、主観を重要視する歴史学は、書物は徹底分析する実証主義歴史学より、事実を歪ませてしまう可能性があるのではないか。

前回も話をしましたが、主観を許容する歴史学も、「何でもいってよい」わけではありません。史料を通じて常に過去に方向付けられ、他の研究者や社会に開かれるなかで、常に反証の提起にさらされます。歴史学者はそのなかで、自らの主観に自覚的になってゆく…

自身の都合のよいように事実を歪めることは咎められるべきであると思うが、もしこうやって授業で教えてうただいているように事実が判明しているなら、外交の手段として歴史認識をある程度操作するのも致し方ないのでは?とも思った。慰安婦問題など正面から向き合わなければならないこともあるが、現実問題としてそうした操作を一切なしにしたら、日本はどうなってしまうのだろう…と思いました。先生はどうお考えになりますか?

事実を歪曲し、あるいは隠蔽してなされる関係は、決して友好的なものにはなりえないと思います。人と人の場合も、国と国との場合も同じです。相手ももし事実を歪曲・隠蔽していれば、お互い欺し合いになるばかりか、生産的な意見交換とは無縁のところで打算…

『文明の生態史観』などを通じ、戦後に脱亜的意識が勃興してくるのが驚きでした。それともこの風潮は、明治維新からあって、言葉として残されたのが敗戦後ということでしょうか? / 『文明の生態史観』は、戦勝国であるアメリカを完全に無視していると思うのですが、アメリカから批判はなかったのでしょうか。

『文明の生態史観』の世界図にアメリカが入っていないのは、アメリカ文明=西ヨーロッパ文明との認識があるためです。アメリカにおいて支配階級にあった白人たちも同様の認識を持っていたため、その点自体にアメリカとしての批判が出ることはありませんでし…

自分は女性が権利を主張することは間違っていないと思う反面、今の世の中はそれを押し出しすぎているのではないかと思います。これまで男性がしてきたこと、積み上げてきたことを蔑ろにして、女性差別だの何だのというのはちょっと違うのかなと思います。

まず、この社会や文化を男性が創ってきた、積み上げてきたと考えること自体が間違いです。あくまで男性と女性が協力して創り上げてきたのであり、もし男性中心に構築されてきた部分があるとすれば、それは女性を排除してきたからに他なりません。女性が権利…