2008-07-18から1日間の記事一覧

臨終行儀の際、五色の糸を指に巻くのはなぜですか。五色であることに意味はあるのでしょうか。

青・黄・赤・白・黒の「五色」は、仏教の儀礼や言説のなかでよく用いられますが、起源としては中国の五行思想に基づくものと思われます。それぞれ木・火・土・金・水に対応します。五行は世界を構成する基本要素ですが、仏教では神聖なものの象徴です。五色…

忌日の「七」は、何を表しているのでしょう。キリスト教では完全さを意味しますが、仏教ではマイナス・イメージのような気がします。

仏教では「八」が満数で覚醒を表すので、「七」はその過程、一歩前の状態を示すものとしてよく使われます。しかしそこに基準や法則はなく、プラスの価値付けもマイナスの価値付けもされていません。忌日の七は、中陰を抜けた段階=八のプロセスを表すに過ぎ…

『六道絵』の閻魔王庁幅で、赤子を捨てた女性の足が纏足になっていました。清朝などでは、纏足は「女性の美しさ」の点で語られていますが、これが罰則のようなイメージで描写されているのはなぜなのでしょう。

纏足が流行した背景には、もちろん「美しさ」もありますが、それは表層に過ぎず、実際は女性を家庭へ束縛することにあったと思われます。また、美は性と不可分ですが、纏足の場合にも局部の筋肉の発達と関連づけて語られました。東アジア仏教は女性を穢れた…

『六道絵』には、復活した死者が赤ん坊になっている絵はみられましたが、子供の死者自体は描かれていなかったように思います。賽の河原などのイメージはいつ頃出来上がるのでしょう。

紹介しましたように、閻魔王庁幅には母を訴える赤子が描かれていますので、『六道絵』にも子供は登場します。しかし、無垢で悪業を犯していないというイメージからか、大人と一緒に責め苦に遭っている絵は出てきませんね(そういう意味では、人間の被害者で…

『六道絵』の閻魔王庁幅の細部にわたる描写は、経典などの書物だけからイメージされたものではないように思います。絵師たちは、何かもとになる絵図を参考にしていたのでしょうか。

その通りですね。唐末から宋代にかけて、十王裁判の様子を描いた「十王図」が制作されるようになり、それが日本へも将来されるのです。『六道絵』の閻魔王庁幅のモチーフ・構図は、明らかにそれを踏襲しています。

ご馳走や御礼目当てに、偽の冥界の死者が現れることはなかったのでしょうか。

面白いですね。さあどうでしょう。ぼくは勉強不足で分かりませんが、地獄の死者に化けた人間が悪さを働く、という話はどこかにありそうですね。今度よく調べてみます。

『捜神記』で、泰山で労役に服していた者が「土地神になりたい」といいますが、それはなぜでしょう。

話のなかで死者である胡母班の父が明確に答えていますが、自分の故郷の土地神になれば一族の者が酒食を欠かさず供え、礼拝してくれるので、満ち足りた生活を送ることができるのです。これも、中国の現実の官僚世界を反映した表現かもしれません。

授業では「地獄と極楽」と表現されていましたが、現在のように「天国と地獄」というのはキリスト教の影響でしょうか。

一般的にはそういわれています。つまり、近代以降のいい方ですね。かなり新しいものでしょう。神祇信仰には天国はありませんし、仏教の「天人道」は、キリスト教の天国に相当する極楽とは異なります。そこに暮らす天人は確かに人間より高位であり、楽の多い…