2009-12-09から1日間の記事一覧
なまはげは鬼の姿をしていますが、その原義は年の暮れに訪れる神霊です。折口信夫は、これをマレビトと呼び、子孫に幸いを授けるためにやってくる祖霊で、神の原義であると捉えました。なまはげの目的は、囲炉裏の前に長く暖をとっていると足に生じる火斑を…
ヒグマは恐ろしいだけかも知れませんが、ツキノワグマは成獣でも可愛くみえないことはありません。とくに小熊は愛くるしいと思いますよ。
敬語は、神に対する言葉遣いだと考えていいでしょう。熊が言葉を失ってゆくのは、それだけ獣に近づいているからです。『古事記』ではしゃべっていた熊も、『宇津保物語』では沈黙する。その描写が写実的になってゆくぶんだけ、神聖性からは遠ざかってゆくの…
今後の講義で扱いますが、例えばニホンオオカミは絶滅したにもかかわらず、いまだこれを神と崇める神社は存在します。実体が失われると信仰も廃れてしまうと考えがちですが、宗教や信仰とは必ずしもそうした末路はたどらないようです。考えてみれば、日本の…
東北地方で生活する熊打ちを生業とした猟師です。狩猟の方法、生活様式には独特の伝承があります。熊への敬意は重要な要素ですが、近年では興奮や快楽を求めて狩猟を続けるものもあるようです。
上の吉備の伝説では、吉備津彦の連れていた家来は犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)の3人で、これがそれぞれ犬・猿・雉のモデルになったといわれます。これには異説も多々ありますが、東北の鬼門と対をなす方向…
昔話は、本来、輸入された外国の話型や歴史上の事件などがもとになり、語り伝えられる地域の固有の事情を盛り込んで成立してゆきます。時代や社会のありようが変わればその形式も変化しますし、それが地域から切り離され国家や王権の語るものになってゆくと…
古代の神祇信仰の祭式には、散供といって、酒や米、切木綿などを撒くものがあります。これは、稲を生育させるエネルギーである〈稲霊〉によって、祭祀対象となる神霊を活性化し、邪気を払う呪術です。豆を撒くのも同じ発想でしょう。歴史的には、室町時代の…
表示に十二支を使うという点では共通していますが、それ以外は鬼門、丑三つ時の関連性はないでしょう。鬼門の起源は漢籍にあり、『山海経』逸文や『神異経』に東北の鬼門の存在が語られています。陰陽道では、太陽のない北、太陽の沈む西は陰、太陽の昇る東…
もちろん、狩猟採集社会では食べていたはずです。現在でも、東北・北陸などには熊肉を使った料理があり、普通に熊鍋の食べられるお店もあるようです。
授業でもお話しましたが、もちろんもっと総合的なものです。素材化はその一要素に過ぎません。簡単にいえば、熊の神聖性を支えていたのは狩猟採集社会であり、その社会を維持・運営してゆくための心性であったわけですから、農耕社会へ向けての一元化が信仰…