毛皮獣の施設の記録が残らなかったというお話ですが、それはなぜですか? 軍が絡んでいたかもしれないとはいえ、それほど機密にしなければならないことだったのでしょうか?

盛岡の毛皮獣養殖所については、もともと農林省や軍部の後ろ盾があって運営されていた施設でしたが、戦後毛皮獣の需要がほぼなくなってしまったこと、帝国の諸機関が解体されて運営の基礎が消滅してしまったことから、なし崩し的に廃絶に至ったと考えられます。聞き取りをしたところでは、飼料を調理する窯場付近の火災が契機になり、新たにそれを修築する財源が確保できなかった、といった話が出ていました。恐らく、きちんと解体する財源もなかったのかも分かりません。戦争直後、軍関係の記録は各地で燃やされ抹消されましたが、養殖所についてもそうしたことがあった可能性もあります。いずれにしろ、廃絶過程をきちんと記録しておく主体も、環境もなかったということなのでしょう。