中国への仏教伝来は、中国の歴史のなかで大きな出来事であるが、「子不語怪力乱神」を標榜する現実主義の中国に、どうして仏教の伝来が可能だったのだろうか。

中国への仏教伝来ですが、確かにまず、〈現実主義〉的なところからその受容が始まっています。例えば、六朝初期の士大夫ら知識人の間には、〈清談〉と呼ばれる文化がありました。儒教から老荘思想に至る種々の思想、思考の論理を用いて、高度な哲学的会話を楽しむものですが、僧侶たちも仏教をもって、この仲間に入っていたのです。劉義慶撰の『世説新語』は清談の宝庫ですが、廬山仏教を率い日本の仏教にも大きな影響を与えた慧遠も、このなかに登場します。一方、当時は西域で流行した禅観経典が多く中国にもたらされ、僧侶たちが山林でこれをもとに瞑想修行をし、多くの神秘体験を得ていたことも確かです。「現実主義の中国が…」と思うかもしれませんが、中国文化にも神秘的な一面が農耕にあることにも注目すべきでしょう。事実この禅観は、仏教以前からあった神仙思想に基づいて受容されたらしく、当時の僧侶たちは、山林で服餌により神仙を目指そうとした隠逸、道士たちと同じく、瞑想を通じて仏陀になろうとしていたものと考えられます。なお、「子は、怪力乱神を語らず」とはよくいわれますが、そういう儒教の信奉者たちもよく怪異を物語っています。清朝の袁枚撰『子不語』などはその典型で、孔子が語らなかった怪異をあえて集めた体裁となっています。

資料に挙げられている経典類には、如法の呪術を行えば、「智慧ある男子」「美しい女子」を生むことができると出てきます。これは、男子/女子で求められるものが違うのだ、という認識でよろしいでしょうか。

まさにそうですね。卜占や呪術の類は、中国戦国の頃からクライアントとの交渉が行われ、求める方向、霊験などが模索されてゆきます。よって、卜占書の凶事の項目をみれば、当時の人びとが何を不安に思っていたのか分かりますし、吉事の項目をみれば、何を望んでいたのか、ある程度集合的なその様相がみえてきます。出産習俗関係の経典で、「どのような子供を産みたいか」「どのような子供に育ってほしいか」が明記されているのは、まさに親たちの不安/希望を体現していると考えられます。よって、男性には官途で出世してゆくような、あるいは一家を興隆させてゆくような知恵が、女性にはよい嫁ぎ先がみつかる/選べるような美しさが、翻って自家も繁栄させてくれるような美しさが、期待されていたといえるでしょう。怖ろしいことです。

中世末期から近世初期にかけての略奪林業によって破壊された環境は、その後の幕府・各藩の植林政策によって多少なりとも回復した…とのことですが、これは1666年の「諸国山川掟」を指すものでしょうか。

「諸国山川掟」については、果たして全国的な開発抑制策であったのか、淀川水系の治水目的に限定されるものではないか、との指摘がなされています。しかし、明らかにこれを受け継ぐ(授業でも触れた)貞享の禁令や、伐採禁令・土砂流出抑止策が諸藩から打ち出されており、幕末に至る各地のさまざまな努力があったことが分かります。例えば、白神山地の件で言及した陸奥国では、近世の寒冷化を受け、薪炭材の伐採が盛んに行われていました。幕末に平尾櫓仙が『暗門山水観』に描いたように、同地では「流木」と称する習俗(旧暦2月=3月に山中で薪炭材を伐採、春に渓流へ流し、8〜9月に河川で山積みのように回収する)が行われ、18世紀初頭には深刻な荒れ山状態となっていたのです。17世紀後半の弘前藩の藩主となった津軽信政は、薪炭材として重要だからこそ山林を保全しなければならないと考え、過度な伐採を禁止する留山の制度を整えました。こうした施策が採られなければ、近世の環境破壊、災害の情況は、より苛酷なものとなっていたでしょう。

草山・芝山の歴史には驚きました。世界遺産にもなっている熊野は、日本列島のなかでも緑の多い地域とされていますが、ここは何らかの形で保護されたのでしょうか?

熊野に限らず、寺院や神社の境内あるいは所領は、神仏を荘厳する道具立てとして、寺社が自らの用途に用いる以外、許可なく伐採することは禁じられていました。それらは神霊の宿るところである、無理に伐採すれば神仏の罰が降る、といった説明もなされてきたわけです。しかし実際のところ、周辺の人々はその生存を賭けて樹木を伐採する必要があったので、寺社領の無断伐採に関わる訴訟が中世以降頻発することとなりました。神社の鎮守の森については、よく神道側の言説で「太古の森…」などと説明されるのですが、文献資料、絵図や写真などを駆使して調べてみると、概ね伐採のよる植生の変化が生じていることが分かります。しかし熊野については、人間が立ち入るのも困難な急峻な絶域であり、それゆえに深奥まで開発の手が及ばなかったものと推測されます。ただし、大正2年(1913)の『熊野百景写真帖』などをみてみると、ところどころに低植生の景観もみることができ、やはり稲作の展開した地域の周辺は、芝山・草山化したところが少なくなかったと考えられます。

〈集合的アムネジア〉は、環境問題だけでなく、他の文化的・社会的な事象として確認できるかと思います。詳しく知りたいのですが、何か参考になる文献はありますか。

ひとつ重要な著作として、 アルフレッド・クロスビー『史上最悪のインフルエンザ—忘れられたパンデミック—』(西村秀一訳、みすず書房、2004年〈原著1989〉)があります。いわゆるスペイン風邪(スパニッシュ・インフルエンザ)の大流行をアメリカからの視点で捉えたもので、疾病交換(一地域の風土病であったものが、グローバルな世界的交流の展開で、免疫のない他地域に持ち込まれ大流行すること)の世界史に基づくマクロな視点(国家や社会の対応)、一患者の症状や治癒・致死過程に及ぶミクロな視点の往還から総合的に描き出したものです。後者の克明な描写からは、死者が血の混じった体液に包まれるという最期を迎えたことから、〈グランギニョル的惨状〉との表現を生じました。グランギニョルとは、19世紀末パリの見世物小屋で、そこにかけられた血なまぐさい、こけおどしの芝居から、荒唐無稽、グロテスクなどの代名詞となったものです。クロスビーは、これ以前に環境史の名著『ヨーロッパ帝国主義の謎』を世に問うていますが、それに引き続きパンデミックを、ヒトという動物個体と社会が、自然環境とどのような相互交渉を行ってきたかという、環境史的視点で照射しています。なお「忘却された過去」については、スパニッシュ・インフルエンザの大規模な被害が、その一原因でもある第1次世界大戦の影響(感染症被害の頻発、死に対する麻痺、被害報告の混乱)によって、ほぼ忘却されてしまったことを意味します。第1次世界大戦の死者2000万人ほどに対して、インフルエンザのそれが、5000万から1億に及んだにもかかわらず、です。人間の記憶が、いかに個人固有のものであろうと、常に社会や歴史との関係において成り立っていることを物語る事象です。なお、スパニッシュ・インフルエンザは日本でも25万の死者を出しましたが、教育上の位置づけは、その半分以下の死者数である関東大震災に及びません(もちろん、災害の苛酷さは、数値のみによって決定されるものではないわけですが…)。

草山が当時の人々の生活にとって必要不可欠なものであったということについて考えたとき、所有者は果たしてどのように決められていたのか疑問を抱いた。

概ね、個人所有ではなく入会地(共同体所有)です。共同体所有の土地と環境問題について考えた有名な概念に、ギャレット・ハーディンの〈コモンズ(共有地)の悲劇〉があります。どういう考え方かというと、例えば、複数の共同体成員が牛を放牧している牧草地があったとします。もし自分の土地であれば、牧草が食い尽くされてしまわないよう、牛の数や行動を調整します。しかし共有地の場合、自分が調整行動を取ると他の成員との競争に負けてしまい、損害を被るので、誰もが調整行動を取らないばかりか、できるだけ多くの牧草を牛に食べさせようとします。その結果、共有地は荒れ果ててしまうという考え方で、環境問題に蝕まれる現在の地球の縮図ともいえます。実際のところは、さまざまな共同体規制が働き、必ずしも共有地が破滅に至るとは限りません。しかし、授業でお話ししたような草山・芝山の事例は、幕府が課した禁令を破ってでも草山化を図る百姓もおり、結果として土砂災害などを頻発させているわけで、〈コモンズの悲劇〉に近い状態が出現しているといえるかもしれません。

人間が生活してゆくのに自然は不可欠であるとすれば、どのように向き合ってゆくのが最適なのでしょう。環境史を研究している学者たちは、どのように考えているのでしょうか。 / 〈共生〉とはそもそもどのような状態なのでしょう。

この問題は、単に政治や社会、経済の問題としてのみ捉えるのではなく、ヒト以外の生命をどのように考えるのか、われわれは彼らとどのような関係を取り結んでゆくべきなのかという、倫理の問題でもあります。ぼくは仏教者でもありますので、あらゆる生命に優劣をつけない、一方が一方を素材として利用したり、抑圧する関係は可能な限り否定してゆく、〈生命圏平等主義〉の考え方を持っています。この思想は、生態系の原則が基本的には〈共生〉にあること、一般にいわれる〈弱肉強食〉は、人間の価値観を投影したものに過ぎないこと、などに根差しています。ロシアに生まれ、日本民俗学の父である柳田国男宮本常一らに大きな影響を与えたピョートル・クロポトキンは、『相互扶助論』を著し、生命の反映は共生に拠るものとし、帝国主義を正当化する適者生存の思想を批判しました。しかし、こうした考え方を原理的に押し通せば、恐らく人間は基本的な衣食住を営むこともできなくなってしまいます。翻って人間社会内部のことを考えると、やはり求めるべき倫理は多様性を尊重する共生社会ですが、それを実現するためには自己の利害を追求するだけでなく、他者の立場を了解したうえで交渉し、合意形成を果たしてゆくことが肝要です。ヒトと他の生命の間も、基本的には同じと考えていいでしょう。しかし、アメリカ等で植物や土地に法的権利を認めるといった見方もあるものの、草木や昆虫はもちろん、一定の意志疎通が可能な動物との間にも、人間と同じ意味での合意形成を達成することは難しいでしょう。ゆえに、われわれ自身が文明を維持したい、発展させたいという欲望を抑制しつつ、この地球上に生きる同朋たちのことをよく知り、試行錯誤を繰り返しながらでも共存共栄を求めてゆくことが肝要と思います。