2015-12-01から1ヶ月間の記事一覧

巨木がもともと生えないような場所・環境の人々にとって、自分が「植えたもの」に対する信仰はあるのでしょうか。

講義でお話ししたように、柱を樹木の代用にする文化は各地にありますが、それも樹木の生えていることが前提ですからね。しかし、現在のペットなども、人間が完全にコントロールすることができないように、ドメスティケートされた動物や植物も、完全に文化の…

人祖誕生神話などにおいて樹木や水のモチーフが多く登場し、物語の重要な位置を占めていますが、これは授業で選択的に採り上げられているからでしょうか、それとも神話全体においてそうなのですか。

もちろん、樹木や水ばかりが重要なのではありませんが、世界の神話一般のなかで、割合普遍的に語られることの多いモチーフと思います。それはやはり、水にしても樹木にしても、人間が生命を繋いでゆくうえで欠かせない存在だからでしょうね。多い地域ではそ…

地域によって信仰される樹木の種類は、何によって決められているのでしょうか。 / 人々の間に、樹木や太陽を信仰する必要がどうあったのか気になります。

この講義の初めのほうで触れた狩猟採集民の話、今回は縄文のクリの話、あるいは竹の話でも触れたように、自らの生活や生業と密接に関わる動植物が、信仰の対象となる場合が多いようです。つまり、それが世界に存在しなくては自分たちが生きられない、いうな…

なぜユグドラシルにはトネリコが選択されたのだろう(常緑樹の方がよかったのでは?)。それぞれの地域で神聖な樹木として選択されるものには、どのような理由があるのだろうか。

セイヨウトネリコは、確かに落葉樹ですね。スカンジナビア半島周辺には広く自生していた樹木ですので、北欧の人々にとって馴染みの深いものであったことは確かでしょう。また、アジアにおける竹のように回復力が強く、10年程度のスパンで伐採できたので、多…

琴は神迎えに使用されていたとのことだったが、だとすれば、サンタル族におけるフィドルも同じような意味を持っていたのだろうか。

可能性はありますね。フィドルがどの程度の時期にサンタル族へ入ってきたものかは分かりませんが、それほど古くまで遡ることはできないでしょう。フィドル以前は、別の伝統的弦楽器が語られていたものと思われます。

木地師とサンカは同じものですか、異なるものですか。

サンカについては、三角寛によってフィクショナルに創作されてしまった面が強く、実態はよく分かっていません。日本列島の非定住民・漂泊民については、かつて一部の民俗学者が構想したように列島の原住民であるわけでも、古代・中世から連綿と存在した「ま…

「斑竹姑娘」は『竹取』の再話にみえますが、前者は樹木婚姻譚となっており、後者と対照的です。これは、アレンジする際にたまたまそうなったのでしょうか、それとも起源が異なるのでしょうか。

授業でもお話ししましたが、日本の『竹取』も、樹霊婚姻譚的想像力を背景に成立したといってよいものだと思います。『竹取』では、「斑竹」における息子の役割が、翁と天皇とに分割されている印象です。翁は姫をみつけて育てる役割、天皇は恋人的な役割を担…

たいていの地域で近親相姦はタブーですが、神話ではなぜ多く語られるのでしょうか。

人類学的理解において、近親相姦のタブーは、女性の交換を実現するためのものとみられています。小集団で移動生活を行っていた時代の人類にとって、同一集団内での交配を繰り返すことは、劣性遺伝のみならず、単純に数量的縮小を招く怖れのある行為でした。…

そもそも神話とは何なのだろう。神話とは誰かが作り、それが広まったものなのか、それとも人々の生活のなかで伝えられてきたものをまとめたのだろうか。

世界そのもの、あるいは世界を構成する諸要素の起源と、現在に至る過程を物語ることで、個人なり、何らかの共同体なりの生活を規制するのが、そもそもの神話のあり方です。一般的には「古代に語られたもの」を指す場合が多いのですが、現在では、中世には中…