巨木がもともと生えないような場所・環境の人々にとって、自分が「植えたもの」に対する信仰はあるのでしょうか。

講義でお話ししたように、柱を樹木の代用にする文化は各地にありますが、それも樹木の生えていることが前提ですからね。しかし、現在のペットなども、人間が完全にコントロールすることができないように、ドメスティケートされた動物や植物も、完全に文化の範疇に組み込まれるわけではありません。例えばアジアでは栽培植物に対する信仰も常にあり、授業で触れたとおり日本列島では、稲、厳密にいえばそれを稔らせるエネルギーである稲霊を強烈に信仰し、年中行事の多くもそれに由来しているほどです。アニミズムの強固な地域では、人工物にも人間と同じ霊魂が宿ると認識していますので、栽培したもの、飼育したものに信仰が成立する場合もありえますね。