2019-07-08から1日間の記事一覧

埋甕の絵は、母の胎内に戻るより、むしろ流産のようにみえます。無事に埋めなかったことを戒めているのではないか、という学説はありますか?

「子供を産めなかったことを、女性に戒める」という発想は、極めて家父長制的なものの考え方です。男性優位であり、女性を、それこそ生む機械としかみていません。縄文時代には、当然家父長制的家族など存在しませんし、例えば、男性=強力・厳格・権威的、…

中等教育における歴史の授業は、歴史学といえるのでしょうか。

歴史学を、近代に成立したひとつの学問的制度と理解するなら、中等教育での歴史科目は歴史学ではありません。歴史学の成果のうち、通説的な部分を教養として学び、理解・記憶しているに過ぎません。ただし、記憶や理解の過程においてもろもろの思考がなされ…

日本の戦争責任に関する賠償問題については、過去の人の責任を未来の人が取らねばならないのは、何となく理不尽ではないかと思ってしまう。

気持ちとしては分かります。しかし、授業でもお話ししたように、われわれの現在の生活が、帝国日本の対外侵略と植民地経営、それに伴って利益を得てきたもろもろの企業の活動に基づくとすれば、われわれにも責任は厳然とあるのです。オーストラリアの日本研…

確かに、アイヌや琉球の文化を無理に日本の文化と同一視する必要はないと思います。しかし、北海道も沖縄も現在は「日本」であり、彼らの権利をその他の県の人びとと分けて考える必要があるのでしょうか。

気持ちは分かりますが、そのあたりの判断は、アイヌの人びと、沖縄の人びとが、彼ら自身で行うべきことですね。究極的には、国民国家日本への帰属/独立の決断も含めてです。なぜならいうまでもなく、近世から近代へかけての日本が、彼らを暴力的に帰属させ…

「山越阿弥陀図」のような図像は、現在では「ありがたい」よりも「何だか怖い。不気味だ」と思われることのほうが多い気がします。いつからそのようなイメージに変わったのでしょうか。

ひとつには、主観の問題ですね。多くの仏教徒、とくに日本の浄土宗や浄土真宗の門信徒であれば、「不気味だ」といわれることに憤慨し、「ありがたい」存在と考えるでしょう。しかしもうひとつ、大きな情況としては、近代以降に宗教の価値が排斥されてきたこ…

死者が神になりこの世を見守る目的として、古墳を造ったと聞いたことがあります。どうなのでしょうか?

それはかなり通俗的な説明ですねえ。確かに、古墳に埋葬されているのはカミなのか、それともヒトなのかという議論は、未だに古墳時代関連の重要な論点のひとつです。前者の場合、古墳を祀る現首長=被葬者の後継は、古墳祭祀をカミを生み出すもの、あるいは…

現代人が死から遠離っているのは、なぜだと思いますか。

いろいろな説明の仕方が可能ですが、ひとつには、無痛文明のためです。この概念は、倫理学者の森岡正博さんのものですが、現代文明のある特徴を捉えたタームです。すなわち現代文明は、人間が可能な限り不快な思い、痛みや苦しみを感じないように作用する。…

以前に京都の化野念仏寺へ行ったとき、同地では風葬が行われていたと聞きました。風葬は、「遺体から大気に生命エネルギーが移って雨となり、地上に戻って作物に還元される」というイメージを抱くのですが、実際にはどうかんがえられていたのですか。

インドの古い輪廻説(五火説)では、火葬で煙化した主体は、祖霊界の主=月へ昇る。のち雨を介して地上へ降り、作物の種子から父=男性へ取り込まれ、性交渉を経て母=女性の胎内へ宿り、種々の生物種へ再生すると考えられていました。このあたりは、直接観…