以前に京都の化野念仏寺へ行ったとき、同地では風葬が行われていたと聞きました。風葬は、「遺体から大気に生命エネルギーが移って雨となり、地上に戻って作物に還元される」というイメージを抱くのですが、実際にはどうかんがえられていたのですか。

インドの古い輪廻説(五火説)では、火葬で煙化した主体は、祖霊界の主=月へ昇る。のち雨を介して地上へ降り、作物の種子から父=男性へ取り込まれ、性交渉を経て母=女性の胎内へ宿り、種々の生物種へ再生すると考えられていました。このあたりは、直接観察に基づく発想なのでしょうね。下記、『カウシータキ=ウパニシャッド』の言説がそれに当たります。なお、日本の古代〜中世における遺棄葬(風葬と云っても、本質的には遺棄葬です)はもっと現実的で、鳥や獣に食い荒らされ、腐って蛆が湧き、やがて朽ちて骨だけになってゆく。無常観を醸成しつつも、遺体処理の方法としては、エコで効率的ということになります。ただし、飢饉や疫病、その他自然災害などで大量の死者が生じた場合には、阿鼻叫喚のありさまとなってしまいます。鴨長明方丈記』には、そのあたりの克明な記述がありますので、ぜひ読んでみてください。

◎『カウシータキ=ウパニシャッド』第1章2(部分)〔ちくま学芸文庫

そこで、彼(チトラ=ガーングヤーヤニ王)は語った。「この世界から去る者はすべて月に赴く。月はかれらの生気によって前半の半月に増大し、後半の半月の間に彼らを再び出生させる。月は実に天界の門である。彼(月)は彼に答える者を通過させ、答えない者を雨となってこの世に降らせる。こうして彼(この世に降下した者)は、この世において、あるいは虫、あるいは蛾、あるいは魚、あるいは虎、あるいは獅子、あるいは猪、あるいは犀、あるいは人間、もしくは他の動物として、種々の場所に、各自の業に従い、また各自の知識に従って、再生する。……