現代ではカラスによい印象を持っているとは思えないが、奈良時代にやたらとカラスが出てくるのは、水田の形態が変わったなどの意味があったのだろうか。

カラスは古代において、必ずしもマイナスの印象のみを持つ存在ではありませんでした。熊野社や厳島社をはじめ、烏を神使と定めている神社もあります。『古事記』や『日本書紀』では、熊野で遭難した神武天皇を導く存在として、八咫烏が登場します。しかしこれらの表象は、少なくとも戦国時代以来、烏を太陽の象徴と崇めていた中国文化の定着に由来するものかもしれません。現在の我々が持つ、死や穢れに関わる烏のイメージは、平安時代以降に、仏教との関わりのなかで浸透していったものと考えられます。