ある歴史番組で、大海人/大友の対立には、国際的な問題が絡んでいると放送していました。大友を支える官僚には百済系が多く、大海人は大友の政策が唐の侵攻を誘発するものと危惧していたとか。先生はどう思われますか?

壬申の乱に、国際的な緊張状態が強く反映していたことは確かでしょう。しかし、例えば天智が自らの王朝に内包した亡命百済人たちが、果たして近江朝廷のために積極的な役割を果たしたのかといえば、その痕跡はあまりありません。うち最高位であった沙宅紹明など、乱の翌年に亡くなった際には天武が冠位を追贈しており、むしろ大海人軍側に付いていたのではないかと疑われます。あまり軽率なことはいえませんが、とくに大海人は、新羅の反攻もあり、唐が倭へ侵攻してくる危険はとりあえず去ったことを確認して、乱を起こしたのではないかと考えています。もし当時、大海人が唐の侵攻をリアルに危惧していたのなら、国家を存亡の危地に追い込みかねない内乱など、選択するはずがないからです。乱の勃発をめぐる国際情勢は、もう少し別の形で把握する必要がありそうです。