倭国は、高句麗の好太王に敗れた歴史があるように、軍事については朝鮮半島諸国を倒す力はなかったように思います。中国にとって、戦力になるほどの武力を持っていたのでしょうか?
4〜5世紀の倭国=ヤマト王権が、実質的にどの程度の武力を有していたのかは、漢籍、朝鮮半島の碑文等に断片的な記述を確認できるばかりで、明確ではありません。ただし当時の王権が、鉄の供給地として重視していた半島南部における利権を維持するため、何度か派兵を行っていたことだけは確かです。5c初の広開土王碑文は、日本と韓国・北朝鮮とで解釈は異なりますが、『宋書』における倭の五王の扱いから考えても、当時のヤマト王権が高句麗と敵対し、百済や新羅を圧迫していたことは間違いないようです。劉宋にしても、倭に朝鮮諸国を「倒す」武力を期待していたわけではなく、牽制の手段として使えるか否かをみていたと思われます。別の質問へのコメントでも書きましたが、中国が春秋時代から常套化してきた遠交近攻策の一種といえるでしょう。