2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

八世紀にはそまざまな書物がつくられ、文書行政も発展してゆきますが、日本ではそれほど紙を作る技術が進んでいたのですか。

寿岳文章氏の研究によると、8世紀には、1日平均170枚、年間で62,000枚の紙が生産できていたようです(『日本の紙』)。この他にも木簡が使用されていましたので、中央官庁の文書行政を支える程度の分量はあったと考えられます。『書紀』や『風土記』を生成…

なぜ奈良時代においては女帝の存在が可能だったのでしょう。 / 中国ではよくないとされた女帝が、なぜ法的に認められたのですか。

日本列島の在来的な文化では、女性の王権継承の可能性は、常に排除されてはいなかったのでしょう。七世紀に推古や皇極=斉明、持統が登場するのも不自然なことではなかったのだと思います。大宝律令においても、その現実を踏まえて母系継承が承認されている…

武智麻呂は22歳の出仕とありますが、これは通例と比べて早いのでしょうか。

数え歳で22、満20歳。この年齢が、貴族の子弟の出仕する規定の年齢であったようです。

持統・元明・元正の女帝の頃は母系継承がありえたのに、父系継承の論理が広まっていったのはなぜですか? / 奈良時代における女性の地位について教えてください。

講義でお話ししているように、天武・持統朝の頃から父系嫡系継承が中心的政策となっていたことと、平安期以降、天皇家・摂関家を端緒に家父長制が定着してゆくことと関連があります。8世紀においては、律令によって皇位の母系継承も認められていましたし、…

県は、「直轄的な位置付けを受けた地域集団」とのことですが、この場合の地域集団とは具体的にどのようなものでしょうか。

県主に任命される豪族を首長にいただいた政治集団(幾つかの村落を含んだ領域的なもの)といえるでしょう。国造の治める国とどう異なるのか、なぜ県に位置付けられたのかは不明の点も多いですが、やはり開発に適した地域や交通の要衝、周辺の共同体を集める…

神格の移動など、豪族レベルで勝手にやってしまってもいいのでしょうか。天皇家はどの程度管理できたのでしょうか。

王権が各氏族の「神」までをとりあえず把握しようとするのは、天武から元明にかけての国史編纂が最初で、このとき初めて神統譜も作成されたようです。しかし、その目的は氏族におけるウジ・カバネの混乱、すなわち王権との関係の来歴の捏造を正すためで、そ…

葛野王に関する推測にはやや疑問があります。地域名から人を識別するのはやや乱暴ではないでしょうか。/ 葛野王に関する伝承は少ないのでしょうか。

皇子や皇女に冠された名前は、原則としては、養育氏族やその根拠地から付けられたものと考えられています。葛野王も、葛野地域に根拠を持つ豪族に養育されたとみていいでしょう。彼の出自や来歴は、『続日本紀』や『懐風藻』によって追うことができます。大…

賀茂別雷命は、天の父に酒を捧げにいったまま、戻ってこなかったということですか?

雷神なので、やはり天に昇ったということでしょう。これまでお話ししてきたように、雷神は農耕の必要に応じて天から勧請される存在になるのです。

神聖なものは河上から流れてくるという発想は、天にいる神に近い場所ということなのでしょうか。

この場合の神聖なものは、天神/地祇の区分でいうと地祇なんですね。ですから、雷神として天にあっても、それは地上の領分でいわゆる高天の原には由来しない。川上から神が流れてくるのは、その源流たる湧水点、あるいは山が神のある場所として聖別されてい…

玉依日売の「玉」は神霊を表すとのことですが、生命を指す古語の「玉の緒」とはどの程度関わってくるのでしょう。『新古今集』に載る式子内親王の「玉の緒よたへなばたへね…」の歌は、恋の悩みによって神霊との繋がりを断つという意味にも解しうるのでしょうか。

玉依日売の「玉」も玉の緒の「玉」も、基本的には同じ意味で神霊を指します。これを近現代的に、神の魂、人間の魂、心霊、生命、などと区別して考えるとややおかしくなるのですが、古代においてはこれらは等しく「タマ」と呼ばれるもの、根を同じくする生命…

ヤタガラスのほかに、王権と深い関わりを持った動物はいたのでしょうか。

確かに、始祖として動物を置く、一種トーテミズム的ともいえる発想は、日本古代では珍しいかも知れません。しかし神話のなかでなら、蛇の正体を持つ三輪山の大物主神や、神武天皇の祖母にあたりワニ(もしくは龍)を正体とする豊玉毘売など、幾つかの例を挙…