2010-05-24から1日間の記事一覧

光明立后は強引な気がします。朝廷内では反対意見が出なかったのでしょうか、また、元正太上天皇は賛成していたのでしょうか。

光明立后は、藤原氏腹の皇子を嫡流とすることを意味します。藤原氏の血を受けた首皇子や光明子はともかく、元明や元正がなぜそのことを推進したのかどうかは分かりませんが、やはり持統天皇・草壁皇子と藤原不比等との関係が大きいのだろうと思われます。不…

史料3についてですが、百官の冠位を一階ずつ上げるとありますが、一律に昇叙したら相対的には出世にならないのではないでしょうか?

位階によって、給与や就ける官職に差違が生じますので、昇進した意味は確実にあるのです。

祥瑞とはいつ頃始まった制度なのですか。また、天平の亀はなぜ亀なのでしょうか。

発想としては周王朝の頃から存在しましたが、制度的に確立してゆくのは、災異思想が発展した漢代でしょう。日本の律令国家も、歴代中国王朝の思想を受け継ぎ、祥瑞を政治的に利用してゆきます。ちなみに亀は祥瑞のなかでも一般的なもののひとつですが、講義…

長屋王邸と藤原麻呂邸が隣り合っているのに驚きました。政争上どのようになっていたのでしょうか?

やはり、両者を政争の関係でのみ捉えるのは誤りである、ということでしょう。長屋王は不比等の後継者として四子とは盟友関係にあった。ゆえに、不比等の邸宅、四子の邸宅と極めて密接した場所に生活していたのです。彼にしてみれば、政治路線が異なってきた…

平城京の住民が詳しく判明しているのはなぜでしょう。また、下級官人であっても京内に邸宅を得るのは難しくなかったのですか。

京内の土地は位階に応じ、面積・場所などが区別されて支給されます。下級官人であっても、京官であれば京内への宅地班給が保証されます。しかし、狭苦しい京の宅地は仮の宿で、郊外に本拠を置く人々も少なくなかったようです。また、講義でもお話ししました…

お札などの呪術的なものは、当時道教的な「医術」とみなされていたのですか。

すべてが道教的とみなされたわけではありません。例えば仏教にも病気平癒の呪術があり、「僧尼令」という法律によって使用が制限されていたのです。律令国家は、中国において常に反乱の火種となってきた道教の正式な輸入を拒否しました。ゆえに道教由来のも…

藤原麻呂邸から出土した呪符木簡についてですが、蛇が疫鬼を食べるということには何か根拠があるのでしょうか。また、「不流水」には何か意味があるのでしょうか。

これは中国の『千金翼方』という医学書に記述がある呪法なのですが、恐らく何らかの道教経典などに神話的裏付けを持つものでしょう。道教では六朝期、あらゆる精霊、神的存在を「鬼」という概念で把握する試みが生じ、これをコントロールすることで疫病や災…

日本では「人が神になれない」という考えがあるといいますが、神道で祀られるということはどういう意味があるのでしょう。キリスト教でいう聖人崇拝と同じようなものでしょうか。

まず、「神」という言葉の定義をしっかり考えなくてはいけません。キリスト教の枠組みだけで「神」を論じるのは大きな間違いです。例えば神を、「人智を越えた力を持つ霊的存在」とするならば、日本にも「神になる」思想はあります。もともとは神仙思想の導…

長屋王は仏教を崇敬していたのに、なぜ『霊異記』では仏敵のように扱われているのか、よく理解できませんでした。

これについては、よく分からないのが現状です。しかし、『霊異記』の編纂者である景戒は、長屋王首班体制に弾圧された行基の熱烈な信奉者でした。『霊異記』に採録された個人に関わる説話のうち、最も多いのが行基関連です。また、行基の弟子で、大仏開眼会…

天然痘が長屋王の祟りだと考えられたとのことですが、この頃すでに怨霊信仰などは一般的だったのでしょうか?

中国から怨霊信仰が将来され、それが一般化してゆくのは平安時代に入ってからです。『霊異記』が編纂されるのは平安初期、ちょうど早良親王の怨霊などが問題化してゆく時期と重なるので、長屋王の祟りの解釈はそれを反映してのことでしょう。しかし、『続紀…

紀伊国の下に根国があり、出雲国に黄泉国があり、土左国はあの世とされていた…というあたりが混乱してよく分かりませんでした。 / ヨミはどうして「黄泉」と書くのですか?

講義でもお話ししましたが、4〜5世紀の紀ノ川河口には紀水門という外港が置かれており、海外の文物はここからヤマトの中枢部へ流れ込んでゆきました。そのため紀伊周辺は境界視され、異界・他界との接点といったイメージが付与されてゆきます。長屋王が流…