2014-07-18から1日間の記事一覧
神農の方は、いわゆる天恵と位置づけられる考え方ですね。あるいは穂落神のように、あらゆるものの価値の源泉が天にある、ということを表明する言説です。一方の『淮南子』本経訓の内容は簡略で、高誘注によらなければ解釈の難しいところがあるのですが、文…
実はやはり、噴火によって都邑が潰滅するという伝承はあまりみられないのです。地震については、授業で扱った『今昔物語集』の記述も地震の色彩が濃いですし、別府の瓜生島や徳島の御瓶千軒なども地震による水没で、多少は確認することができます。しかし、…
授業で一言だけ触れましたが、仏像霊験譚の形式ですね。中国の南北朝期には、仏像が発汗して凶事を知らせる類の言説が多く作られましたが、これが後に涙や血へ姿を変えてゆくようです。善導『往生礼讃』に書かれる三品懺悔の手法には、目から涙を流して行う…
そこに主題がないからだ、としかいえません。また中国では、少なくとも儒教の建前的な立場では、非業の死を遂げた人間への祭祀は行わないことになっているのです。こうしたことが宗教の抱える喫緊の課題となってゆくのは南北朝のことで、主に仏教が担い手と…
確かに関連はあるのかもしれませんが、「天地始之事」に出てくる兄弟には対立関係はなく、いわゆる愚兄賢弟の枠組みに当てはまりません。また、エサウは野人のような存在ですから、「天地始之事」に登場する兄とはかなり印象が違います。全体としてはノアの…
これは少し、現代語訳が不正確でした。「べんぼう」は恐らくLimbo、すなわち辺獄のことを指すと思われます。洗礼を受けなかったものが原罪のうちに堕ち、しかし永遠の地獄であるInfernoとは区別されるものです。この考え方によれば、キリスト教的な回心を得…
確かに、その点は充分考慮しなくてはなりません。実は、この講義のもとになった論文では、『今昔』の都邑水没譚を、遼代説話世界の影響を受けたものかもしれないと展望していました。近年は、院政期の説話世界が、遼・非濁の『三宝感応要略録』などに大きな…
確かに、それはありえますね。下の方でも書きましたが、石像の顔が赤くなるという系統の話は、仏像霊験譚の影響を受けています。亀や獅子には、顔全体が赤くなる事例はなく、神像や仏像の類になって、このような表象が出てくるわけですね。このジャンルにお…
あります。例えば、やはり河南省の西華県で採録された伏羲・女媧の伝承として、これお姉・弟と語っている事例があります。「人祖爺(伏羲)と人祖婆(女媧)は夫婦ではなく、実は姉弟である。姉弟が石亀に昼ご飯の餅を与えると、石亀は、「私の目が赤くなっ…
冒頭の単元で、「サバイバーズ・ギルト」のお話をしたと思います。これは事故や災害の際、自分の大切な存在を失ったひと、肉親を失った人たちにみられる心理状態です。自分ではなく、なぜ他の人が死んでしまったのか。とくに、子供や妹、弟、恋人など、自分…