2015-11-25から1日間の記事一覧

勘合貿易には、割符の偽造などはなかったのでしょうか。

最終的にはそれに近い事態になってゆきますね。当初、勘合は室町将軍家が独占管理していますが、やがて大内氏や細川氏など交易に力のある武家へ売却するようになり、やがて大内氏への勘合の一括下げ渡し、細川氏による偽造などの事態に至ります。やがて室町…

最近の日中の歴史認識をめぐる対立は、いったいいつ頃までの歴史背景が具体的に取り扱われているのでしょうか。

それはやはり近代、満州の植民地化以降でしょうね。しかし尖閣などの領土問題に関しては、前近代にまで遡って「証拠探し」がおこなわれていますね。

義満が、国外の相手に「源」姓を名乗っているのはなぜですか。

足利や新田、北條といったウヂナは、種々に分かれた家系が必要とした、いわば通称にすぎません。正式な氏姓とは天皇から与えられたものですので、足利の場合は源氏姓になるわけです。これは対外的に、ということではなく、朝廷の儀式など正式な礼が必要な場…

明は「天皇」の存在を知っていたと思うのですが、「日本国王」は日本においてどのような位置づけになると考えていたのでしょうか。

中国王朝にとっては、天皇の存在など大きな意味を持ちません。自らの冊封した国王こそが、東アジア世界における国王なのであり、それは天皇などが存在する以前から機能していた論理です。もちろん、君主以外とは通交を結ばない海禁政策を採っていましたので…

明から「日本国王」に冊封されることが、この時代、どれだけ政治的経済的に義満に力を与えることになったのだろう。 / 私の変な愛国心が働いているのかもしれませんが、中国との国交が国家を統一するにあたって重要になることに、不満というか疑問を感じました。

上にも書きましたが、まず国際関係的、また朝鮮半島や琉球、東南アジアなどと関わりのある九州、中国・四国地方の国々と優勢な関係を築いてゆくうえでは、環東シナ海地域の覇者である明と結ぶのは大きな意味がありました。交易の利が巨大なことは平安以降の…

日明貿易における諸経費はすべて明が負担したとのことですが、成立したばかりの明がそのような負担をしていまで日本と貿易をすることになったのは、日本が何らかの圧力をかけたからなのでしょうか?

そういうわけではありません。朝貢貿易とはそういうものなのです。中国王朝は、理念上、世界を統一し支配下に収めてゆくベクトルを持ちます。世界に皇帝の徳治を行き渡らせ、蛮族に文化をもたらすのが、天から与えられた使命なのです。朝貢とは、理念上、そ…

懐良親王について、明側の冊封使が「日本国王良懐」と字をひっくり返しているのはどうしてでしょうか。良が姓、懐が諱のように考えられていたのでしょうか?

そういうわけではないと思います。中国王朝への入貢の際、使者が自分の名前を中国風に変えたりすることはよくみられますが、「良懐」の場合は彼らの側の申請に基づくものではなく、明側が冊封した国王に嘉号として与えた名前ではないか、とも思われます。す…

懐良親王が、日本国王に一時的にでもなった理由が分からなかった。懐良が南朝の人間であるなら、後醍醐を国王にするはずであることに加え、今川了俊の侵攻との関係も分からなかった。了俊から侵攻を受けたなら、なおさら国王の地位を差し出すべきではないのか? / 懐良が明からの冊封を決意したのは、天皇より上位の後ろ盾が欲しかったからとのことだが、明などという新興国による国王公認などが、どれほどの力になったのか疑問である。

明に臣属して日本国王として冊封されることの利点は、やはりひとつは交易の可能性です。懐良は九州を独立した王朝と位置づけようとしていた節があり、明へ僧侶らを使者として派遣しています。彼らは中国で政争に巻き込まれて流刑となり、現雲南省の大理へ送…

なぜ京都の寺に平重盛像としてまつられる像が、源氏方である足利尊氏の可能性が高いのでしょうか。伝尊氏像が、高師直像とされるようになった理由も知りたいです。

これについては論旨が多岐にわたり、議論が繰り返されていますが、概ね新しい見解が定着しつつあるようです。新説は、数年前まで上智で教鞭を執っていた米倉迪夫さん、東大史料編纂所の所長も務めた黒田日出男さんが主張されたもので、神護寺三像を源頼朝・…

『千金翼方』で、「三」「九」「八」などの数字がよくでてきていますが、何か固有の意味があるのでしょうか。

3はアジアにおける聖数のひとつで、多数決を決するものとして、すでに中国古代の殷の時代から重要視されています。後に、天・地・人を意味するものと位置づけられます。その10倍、100倍など数は、例えば仏教でいう「三千大千世界」など、宇宙そのものを意味…