屈葬が胎児を象ったものとすると、頭の位置などはとくに意識されていたのでしょうか。 / 骨を折るほどに身を屈めたのは、胎児の大きさに戻すためだったのでしょうか。

屈葬については、身体を丸めることに意義があったようで、それ以上に特別な姿勢は要請されていないようです。問題は、縄文期を通じ屈葬から伸展葬への移行が認められること、東日本は屈葬、畿内など中央部では伸展葬、西日本では二分化との地域的相違もみられることです。その時点で、死者の迷妄を妨げるとか、大きな墓穴を掘る手間を省くといった説明は成り立たなくなります。縄文期の墓穴のなかには、頭蓋骨が環状に配置されている墓穴など、やはり死と再生のサイクルを「円環」で表現したらしい遺跡が見受けられます。屈葬の「○」も、胎児の形状であると同時に再生のサイクルを意識したものなのでしょう。