先生は、景観が変化したことによって記憶が塗り替えられることを「リセット」と表現されていましたが、今回の桃太郎の事例のように、実際は時代の移り変わりに応じて変化してゆくもので、なかったことにはならないのではないでしょうか。

確かに、リセットはいいすぎだったかもしれませんね。しかし柴草山の問題からいうと、農村からもその記憶がほとんど消えてしまっているのが現状なのです。これは、世代論だけでは説明できない現象です。集合的アムネジアの問題は、例えば世界的には、「スパニッシュ・インフルエンザ(スペインかぜ)」の流行の例が知られています。これは第一次世界大戦(1914-1918)の時期に重複して起きたパンデミックですが、初めての世界大戦として未曾有の犠牲者を出した、その戦争自体の死者が2000万人ほどであるのに対して、5000万から1億の死者を出したことが知られています。しかし、世界的にその事実はほとんど忘却され、パンデミックの防衛体制のなかで活かされることも、学校の歴史教育で教えられることもほとんどありません。日本でも25万の死者を出したことが確認されていますが、一般的にも教育のうえでも、10万人の死者数である関東大震災に及ばない位置づけとなっています。こうした集合的な忘却は、政治的・社会的要因が大きく関係し、想起の契機が奪われることで生じるもので、通常の経年変化より急激に起きると考えられているのです。