神仏習合は、ここまで明確に史料が出ているのに、なぜ日本の社会では未だに固有のものと考えられているのでしょうか?

前々回お話ししたように、やはり、宗教に対する寛容さの象徴のように位置づけられる神仏習合を、列島文化として考えたい欲求が強いのでしょう。もちろん、正確な知識がほとんど広まってないことも原因です。一般社会は、「本当のことを知ろうとする」知的好奇心より、「みたいものをみようとする」自己充足欲求のほうが強いのかもしれません。最終課題として皆さんに問う、「研究と教育の乖離を埋められるか」にも関わってきますので、少し考えてみて下さい。