そもそもなぜ日本では、米が政治に絡むようになっていったのでしょうか?

この問題については、いずれテーマ別解説のところで詳述するつもりですが、まず灌漑稲作農耕が、いわば階層化社会・戦争・金属器、関連する儀式・祭祀などが複雑に絡み合った、総合的な文化として将来されたことが大きいと思います。授業でもお話ししたとおり、青銅器文化の展開期にあった朝鮮半島では、その後の日本列島と同じように共同体の再編が進み、その余波が北部九州にまで及んできました。再編の圧力によって半島からはじき出された人びとが、北部九州を中心に移住し、彼らの持ち込んだ文化の総体が、長い時間をかけて列島全域へ及び、社会の変質をもたらしてゆきます。それが、首長を頂点とする階層化社会であったために、稲米も政治性を強く帯びてゆくことになるのです。まず、灌漑稲作農耕は組織的な労働力を必要とするため、稲を作る活動自体が階層化社会と強力なリーダーシップを生みだしてゆきます。当初、初めて収穫された米は神霊に捧げられていたと考えられますが、やがて首長に奉献されるようになり(初穂貢納)、服属儀礼の様相を呈してゆきます。それが中国的な均田制の枠組みに当てはめられ、租税の単位となり、二重三重に政治的な意味を獲得してゆくのです。