2011-06-24から1日間の記事一覧
構いません。でも、結構難しいと思いますよ。
日本古代のそれの源である中国の秩序では、帝は神よりポジションが上なのです。殷代の解説でも少し触れましたが、殷王朝の至上神は上帝で、その至尊さは人間の理解を超えており、一切のコミュニケーションを拒絶する存在でした。これが周王朝以降に「天帝」…
春秋〜戦国期の五行占は本当に初発の時期のものですので、後世のものに比べて極めて単純です。後世には、万物の五行配当が複雑化・多様化していったり、相生・相克の説明付け自体も容易には解明できないものとなってゆきますが、史料19に挙げたようなものは、
最後から2回目の講義で『詩経』を扱いましたが、仰るとおり、巷間では様々な俗信的方法で占夢が試みられていました。しかし、その大部分は個人や家、氏族に関する事柄であって、国や王権の存亡に関わる重大事ではなかったので、大きな問題は生じなかったと…
子産は、公孫僑との諱からも分かるとおり、鄭国の宗族(君主の一族)でした。子産の父親が鄭公の子(公子)、彼はその子すなわち鄭公の孫(公孫)に当たるわけです。ゆえに、史官や卜官の一族ではありませんでした。しかしその家柄から、当時の卿・大夫らが…
もちろん、史料的にどこまで正確な書き方をしているのか、細大漏らさず描いた網羅的な記録なのか、という問題は常にあります。ゆえに、情況に応じて具体的な占夢のあり方は異なるでしょうが、文献を参照したらしい痕跡がある以上、通常の亀卜や易筮と同じく…
これまでみてきた殷代の亀卜・骨卜や易筮と同様、解釈の仕方を変えることによって「よりよい未来を選択する」という考え方が貫徹しているのでしょう。甲骨に生じたひび割れ=卜兆や易の六十四卦自体も重要ですが、本当の問題はそれをどう読み解くかにあるわ…
下でも触れますが、占夢の方法自体は巷間にも知られたものがあり、春秋・戦国期には、必ずしも占夢官のみが独占する状態にはなっていないものと思います。ただし『晏子春秋』に記録されたそれは陰陽説を応用していますので、やはり当時としては専門的な占夢…
漢代初期の律令には占夢官の独立した試験規定はみえませんし、漢代に占夢官が独立した官職として存在したかどうかも分かりません。『周礼』では占夢官も卜官のカテゴリーに含まれますので、「二年律令」でみた卜官の入試が、そのまま占夢官の入試でもあると…
基本的に、『左氏伝』や『国語』は史官の倫理=天の秩序と考えているので、君主/史官=卜官の対立が生じた際に、君主側が正当であると叙述する場合は少ないだろうと思います。史官=卜官は天の声を代弁しているのであり、それに逆らうのは天に弓引くことと…
例えば、日本古代の天皇が朝廷において政治を執ることを「聴政」といい、何らかの申請があった際に許可を出すことを、「聴」と書いて「ユルす」と訓みます。これは、群臣たちの様々な意見をよく聞いて、自らが最終的な判断を下すためです。すなわち、政治と…
当然、後に『孝経』や『礼記』にまとめられることになる倫理・道徳規範も、卜占の際の重要な参考基準でした。卜官=史官が管理する神話=歴史において、「どのように行動すべきか」はむしろ自明です。彼らはその点を前提にしながら占断を下しているのであり…
講義でも触れたように、もちろん、そうした側面は大きいように思います。彼らは卜兆や卦の結果を読み解き、占断を下しつつ、君主の心を解きほぐして道徳=倫理に沿わせようとしているのです。春秋戦国期において、後の軍師や宰相の担う役割の一部は、少なく…