『続紀』養老元年4月壬辰条に、「三綱連署し期日に赴かしめよ」とありますが、これは僧侶が行基や私度僧を取り締まっていたということですか。 / 「四民」を士農工商と訳されていますが、当時は「士」に当たる階級はないのではありませんか。 / 「指を切り取る」「皮を剥ぐ」といった行為は、単なる誹謗中傷なのでしょうか。

養老元年4月壬申詔の基本的なスタンスは、僧尼令という僧侶関係の法律を遵守させることにありました。乞食行に関する三綱への報告も同様で、各寺院の管理・統率者である三綱、仏教界全体の教導者である僧綱は、僧尼令に基づいて僧尼たちを教導する義務があったのです。
「四民」は中国的語彙なので、「士」とは日本でよく使う「武士」ではなく、中国における「士大夫」の「士」、すなわち諸侯に仕える家臣層を意味します。日本の古代に当てはめれば、官人層ということになるでしょう。
「指を切り取る」「皮を剥ぐ」といった行為は、実は仏教でいう捨身施に当たります。自らの身体を犠牲にして仏や衆生に奉仕するという実践で、仏教では極めて尊い行いとされます。しかし、一般社会においてはなかなかに理解されませんので、中国においても度々禁止されていますし、日本の古代でも認められていませんでした。行基集団の昂揚する宗教的情熱のなかで、かかる実践が行われた可能性はあると思います。