2010-06-14から1日間の記事一覧
直接的な関連性はないでしょうが、美意識や女性への拘束という意味では類似しているところもあります。習俗の社会的機能という点では共通していますが、纏足は直接的な身体加工を伴うものなので、「身体」を考える意識に相違があるといえるかも知れません。
呼び方が難しいですが、「神」としておいていいでしょう。インドにも早くから冥界の観念はあり、そこに住む刑罰の神閻摩(ヤマ)天が、護法善神の観点から取り込まれのが閻魔王です。いわゆる十王も、中国の代表的冥界である泰山の泰山府君をはじめ、仏教東…
下記に述べるように、十王のうち最も歴史が古いのが閻魔王でしたので、この神格は早くから重視され、単独で描かれることも多い存在でした。中国的官僚化の進んだ十王裁判は、閻魔王単独の信仰が変化したもの、もしくは単独の信仰へ変化したというわけではな…
長老たちが教授するというより、その場で「長を尊び老を養ふ道」を教え示す、という方が正確かも知れません。『令集解』儀制令春時祭田条には、例えば、年齢によって座る位置を変え、その子弟に配膳係を務めさせるという解釈が提示されています。しかし、問…
太朝臣については、『日本書紀』の段階で「多」とも表記していました(他にも「意富」「於保」などがあります)ので、別段「太」が正式というわけではありませんでした。東儀は秦河勝の子孫を自称していますが、これは中世に河勝を芸能の祖とする伝承が生ま…
浄御原令については成文化された内容を見出すことが難しいので、ほとんどの場合、『日本書紀』の記述を大宝令や養老令の条文と比較してあらましを想定しています。天武朝に楽府のような施設がまがりなりにも整えられ、楽人の貢進や養成が行われていたとすれ…
聖徳太子に対する信仰は、その関係寺院を通じて7世紀の後半には喧伝され始め、『日本書紀』の編纂・講読によって画期を迎えたと考えられます。仏教国家の後継者としての阿倍皇太子、それを支援する聖武や光明は、仏教を奉じる皇太子の先例として聖徳太子を…
古代には、民から王への税も、租以外は繊維製品で徴収されていましたし、逆に王からの下賜物にも繊維製品がおおくみられました。神に捧げられる幣帛も繊維製品です。麻や絁はともかく、絹織物は高価で貴重な品でしたので、これらを贈答に用いることが多かっ…
元号とは、その王なり王朝なりが、空間だけではなく時間をも支配していることを示す仕組みです。ゆえに、同一天下のなかでは唯一、もしくは優勢な王朝しか元号を使用することはできませんでした。日本の場合は本来なら中国王朝の元号を使用していてもよさそ…
これは、当たり前のように説明していて失礼しました。仏教の経典の数は、福音書の比ではありません。仏教が誕生し、釈迦の教えを書物として編纂するようになってから、厖大な数の経典や注釈、それらに基づく論著が生み出されてきました。中国では仏典の漢訳…
「よくいわれている」とは、どこでいわれているのでしょうか。確かに、神仙思想や陰陽五行説の影響は色濃くありましたが、少なくとも学術的なレベルでは、日本は道教崇拝の国ではありません。最近、駒澤大学の石井公成さんなども指摘されていますが、かつて…
日本の律令制は中国のそれを継承したものですので、基本的な相違はありません。しかし、篇目や条文のいちいちを詳しくみてゆくと、日本の実状に合わせて局所的に改変が加えられているのは確かです。例えば、神々を扱うような条文はその相違がはっきりします…
Q)「関心を持ったトピック」とは、講義内で少しでも触れたことがあればよいのでしょうか。また、時代は同じ時期でなければだめでしょうか。 / おまけから複数の題材を扱って書いても構いませんか。A)もちろん、授業で触れていれば何を扱っても構いませ…