縄文時代は女系(母系)社会といえるでしょうか。 / 縄文時代の結婚形態はどのようなものだったのでしょうか。 / 医療が発達していないと、乳幼児は男子の方が死亡しやすいと聞きましたが、労働力としては男子が大切だったと思います。そうした点から男尊女卑のような視点が出てくることはなかったのでしょうか。 / 女性の神格化が、保護から管理・独占へ移っていったのはなぜでしょうか。

縄文時代から弥生時代については、墳墓や遺存人骨を調査してゆくと、父系偏重でも母系偏重でもない双系的な親族構造がみえてきます。女性が首長の座に就くことも少なからずあったようです。この傾向は、古代国家により家父長制が採用されて以降も、基底的な社会構造として持続してゆきます。列島においては、外来要素に基づく政治的要請なくしては、男尊女卑といった考え方は根付いてこなかったのです。ただし、縄文以降も継続的にみられる女性の神格化は、主に男性視点に基づくものです。男性による女性の神格化は、表面的には崇拝であっても、内実は疎外である場合が多いものです(生命の象徴、豊饒の象徴としての一面を強調し、女性の全性質を規定し代表させてしまうためです)。そこから女性性の収奪へと進むのは、私たちが考えているよりずっと近道であったと思われます。