全体的に父系原理を採る民族が多いように思うのですが、父系/母系のどちらを採るかは、そもそもどのように決定されるのでしょうか。

地域や時代によっても種々の変遷がありますが、日本の場合は基層としては双系制で、中国の影響により、家長層から父系制社会へ移行してゆくことが確認されています。古墳時代の埋葬のあり方方から家族研究を推進する田中良之氏によると、縄文〜古墳前期には、墓からは父―子、母―子どちらの組み合わせも出土しており、夫婦同墓ではない双系制がみてとれます。すなわちこの時代には、父系家族も母系家族もありうえたということです。これが5世紀後半になると、夫婦は同墓でないものの家長と庶子からなる墓が主流になり(すなわち子供のうち次の家長は新たな墓を造るわけです)、男性家長の傍系親族を排除し、家長の子供を加えた父系的な家族形態が成立するようになります。そして6世紀前半〜中葉には、家長夫婦の同墓が実現(次世代家長の母が、父とともに埋葬)し、父系家族が完成するのです(ただし、この時点での父系化は家長家族に限定されたようで、家父長権の継承と関係があるとするのが田中氏の推測です)。なお、この時期に父系化が進行する理由については、ア) 軍事的緊張説、イ) 渡来氏族影響説、ウ) 中国文化受容説等が提示されていますが、ア)は5世紀後半になぜ生じるか説明できず、イ)は朝鮮半島南部が双系制であったことが判明し否定されます。消去法でゆきますと、古墳を支える思想と同様、支配層を中心に中国に倣ったというウ)に蓋然性があるかと思われます。