卑弥呼の前には男王たちが何人もいたと思うのですが、なぜ女王が突然現れ、また注目されたのでしょうか?

よい質問ですが、なかなか難しいですね。ひとついえるのは、恐らく女王は卑弥呼ひとりではなく、その前にも存在した可能性が高い、ということです。清家章氏らの研究によると、弥生〜古墳時代にかけての首長墓、およびそれ以下の階層の埋納人骨を調べてみると、全体としては、父系/母系どちらもありうる双系制の社会から、恐らくは中国や朝鮮半島の影響を受けて父系制への変化がみられる。次第に男性家長の割合が増えてゆく、ということです。首長層に限ってみた場合、戦争がうち続いたためか弥生後期には男性首長が多いものの、弥生時代前半にかけて女性首長が増え、後半には男性首長へ移行してゆく。古墳時前期には、近畿地域で全体に女性首長の占める割合は1/3程度、全国的には半分程度でしたが、古墳中期には近畿で1/10程度まで減少してしまいます。しかし、卑弥呼が出現する前後には多くの女性首長、女性家長があり、彼女はそうした時代を象徴する存在だった、ということができるでしょう。かつては、卑弥呼の行う「鬼道」に注目して、女性=シャーマンが首長に祭り上げられる条件と考えられてきました。しかし、弥生時代の銅鐸絵画などをみると、ある程度のジェンダー役割は成立していたものの祭祀には男女双方が関わっています。当時の首長は祭政一致の頂点にあり、祭祀も担えば政治も行っていました。一般的に存在した女性首長たちも同様で、男性と同じく世俗的な政治の部分にも力を発揮していたと考えられます。中華王朝の史書の記述は、常に一面的な事実のみしか捉ええていない、ということでしょう。