綱吉の生類憐みの令と、それ以前の殺生禁断令とではどのような相違があるのでしょうか。また、綱吉以前の将軍で、類似の法令を出した人物はいたのでしょうか。 / 生類憐みの令以外で、動物の保護を定めた法令はあったのでしょうか。

徳川綱吉の「生類憐みの令」とそれ以前の殺生禁断令を比べると、確かに、その徹底度の面では大きな相違があります。しかし徳川幕府の歴史をみてみますと、綱吉の法令発布にもそれなりの前段階、文脈の存在することがみえてきます。例えば秀忠期の慶長7年(1612)には、古代以来の殺生禁断令と類似の「牛を殺す事御制禁也」との法令が出ていますし、家光期の正保3年(1646)には、「牛・犬を殺し候儀御停止被仰出」との法令が発せられています。とくに後者には、牛を殺して売ったり、犬を寄合で料理して食べている情況などがうかがわれ、肉食の行われていた史料としても重視されます。家綱期の明暦元年(1655)には、実際に犬を殺した者を処罰した記録が残っています。綱吉はそれをさらに徹底し、動物虐待にあたる見せ物を禁止したり、魚や鳥を食べ物として飼育することなども禁止します。さらに犬については、飼い犬を調査し「犬毛付帳」という戸籍を作成、保護した犬については各地に犬小屋や犬溜場、犬御用屋敷を作り、周辺住民から徴収するなどした膨大な費用を使って飼養したようです。ちなみに、現在の四ッ谷4丁目交差点にあった大木戸の外にも、約2万坪にも及ぶ広大な犬小屋が設置されていました。このような保護云々という意味では、やはり「生類憐みの令」は特異かもしれません。