「義獣」は熊だけに対する表現でしょうか。他の動物にも使用される言葉なのですか? / なぜ鈴木牧之は、熊が他の獣を殺さず虫を食べることを、「義獣」の要因としたのでしょうか。

日本ではあまり使用しませんが、漢籍には例があるようです。儒教思想から獣をみた場合の位置づけといえるでしょうが、本来の儒教は人間/動物の区別を厳密に付けますので、ランクの低い獣が義を知ることの特異さから呼称されるものといえそうです(よって、熊に限った表現ではありません)。鈴木牧之の使用法も同様でしょうが、より日本的な文脈から発せられた言葉ともいえます。江戸期は、建前的には仏教の殺生禁断思想が広がっていました。そのなかでは、獣よりも虫の方が生命のランクが下である、とみなされていたのは確かです。殺し殺され食べ食べられるのが「畜生」の苦難との見方もありましたので、獣の仲間のなかで殺し合いをしない熊は「義」を知る、という位置づけになったものでしょう。