国家や中央集権の代替可能機関とは、どのようなものでしょうか?

中央集権自体については、社会科学の世界では、もう弊害のほうが大きいとみなされているのではないでしょうか。日本でも、東日本大震災の直前までは、いかに地方自治の力を強くしてゆくかが喫緊の課題として議論され、首都移転や複都制、道州制導入までがリアルな話題だった。しかし相次ぐ激甚災害のあと、より緊急性が高まったはずのこれらの課題がなぜか消え去り、国権強化、東京一極集中ばかりが目に付くようになってしまった。まさに逆コース、という印象です。国民国家自体も、その弊害については飽きるほど議論されていますが、資本主義と同じで、そのオルタナティヴが構想されていない。よってマイナーチェンジを繰り返してきた結果、抜き差しならない状態に立ち至っているという印象です。アナーキズムでは、権力を内包する支配者層を生み出さないために、社会集団の取り決めをする機構とひとりひとりの労働者の距離は近い方がよい、というのが理想です。地方自治の仕組みを強化したうえで、その行政機構をできるだけ労働者の運営に近づける、できるだけ代表者(政治の専門家)を生み出さずに、みんなで決めるシステムを作り上げる。地域集団の連合として現行の国家的まとまりを作り上げるかどうか、その状態でのグローバル化をどのように行うかも、大きな課題ではあります。しかし、どこかで抜本的な変革へ踏み込まないと、早晩、地球の政治・社会・経済、それらに依存する環境との関係は、破綻へ向かって加速度的に進行してゆくでしょう。理想と現実をしっかりとすり合わせ、ミクロな問題とマクロな問題を交差させながら、着実に是正をしてゆくことが求められています。