卜辞はひび割れの結果で占うとのことでしたが、担当するシャーマンによって結果に相違はあるのでしょうか? / 熱卜は何らかの専門集団が担当したのだろうか?

殷代の熱卜については、かなりシステマチックに整備された状態で運営されたことが分かっています。まず卜占を行う貞人たちですが、やはり専門技術者集団で、卜府と仮称される機関に所属していました。そこへは牛の肩甲骨、亀甲などが支配領域の各所から届けられ、熱卜の際に扱いやすいように整形・加工されたうえで、祭祀の現場へ持ち込まれます。現在判明している甲骨記録、あるいは春秋・戦国時代以降の伝世文献(『尚書』など)からすると、占卜の仕方として最も丁重な法式としては三卜制が採られ、一事につき3人の貞人が占って、多数決で結果を導き出したようです。ただし、卜兆=亀裂の形状を具体的にどう占断したのかなど、史料がなく分からないことも多くあります。しかし、後世の前漢史記』亀策列伝や、呉国系統の亀卜史料を多く残している清『卜法詳考』などから、ある程度の復原は可能になっています。前者には亀卜関連の多くの占辞が形成されており、それぞれには、かつて亀裂の図が付されていた痕跡があります。後者には、『史記』のそれとは時代的に多く異なるものの、亀裂の図がはっきりと残されています。殷代にも、亀裂を読み取るための大まかな決まりはあったと想定されますが、もちろん貞人の技術の高低、熟練度の相違などによって、個々に結果が異なることも少なくなかったと推測されます。