マルクス主義的な歴史観が1989年頃まで長く日本に影響を与えていたという話があったけれど、1989年以前の論文などには、同歴史学の影響を受けたものが多くあるのでしょうか。また、そのような論文をどう扱ってゆけばよいのでしょうか。

もちろん、多くあります。例えば、日本史研究で最も「権威のある」概説講座ものの『岩波講座日本歴史』、1960年代版を紐解いてください。マルクス主義歴史学の用語・概念で埋め尽くされ、なかなか読み進めることも難しいのではないでしょうか。しかし、問題意識にしても内容にしても極めて重厚なものが多く、先行研究として大いに価値があります。例えば時代区分論争のように、古代/中世/近世の区分をめぐり、どこまでが奴隷制でどこからが封建制かを探究するような研究は、現実を理論的枠組みに当てはめてゆく作業になるので、確かに現在では史学史的にしか意味はないかもしれません。しかし、他の多くの研究には、実証的価値の高いものも少なくないのです。これから論じてゆきますが、マルクス主義の生みだしたものは世界史の基本原則だけではなく、生産様式の概念、イデオロギーの概念、物象化のものの考え方など、現在の社会科学の基礎をなすものも多い(むしろマルクスの場合は、発展原則はそれほど重視されていません)。マルクス主義に起源する用語や考え方をすべて取り除いたら、現代の社会科学はほとんど成り立たないほどです。一部のみをみてレッテルを貼ってしまうより、個々の研究の射程や意義をしっかり見定めることが大切でしょう。