2016-10-19から1日間の記事一覧

日本はかつて多様な宗教を信仰していたと思うのですが、いまなぜ無神論となってしまっているのでしょうか。

現在の日本社会は、必ずしも無宗教ではありません。それは、キリスト教的な宗教観でみた場合「宗教的」とはいえないだけで、実際はかなり宗教的なのです。例えば、正月。多くの人々が神社や寺院に初詣に出かけ、1年の無病息災などさまざまなことを祈願しま…

私たちが現在知っている神様の名前の多くが、近代に作られたことを知って驚いた。私たちは知らない間に国に操られていたのだと感じた。 / 日本には数え切れないくらい神社があると思うのですが。地方の神社もそのようになっているのでしょうか?

まず誤解のないようにいっておきますが、必ずしも「近代に創られた」神名を名乗っていたわけはありません。多くは、国家が国体の聖典とした『古事記』『日本書紀』に登場する、古典的な神名に改められたということです。中世や近世の神々をめぐる信仰の変化…

ランケ的な実証主義が神の概念を欠落させて輸入されたとき、その代替として天皇制が機能したとの話を興味深く聞きました。しかしなぜ「天皇」であって、例えば「仏」や「釈迦」ではなかったのでしょうか?

面白い質問です。まず一つは、実証主義が国家の運営するアカデミズムで機能したものであり、それゆえに国家主義的傾向を強く帯びたことがいえます。つまり、例えば民間の仏教信仰ではなく、君主である天皇を基軸とする世界観に親和的であったわけです。また…

授業のなかで、今は歴史の根拠がアジア的共同体にある、といったようなことを仰っていましたが、具体的にどういうものか想像がつきにくかったです。

正確な文脈では、近代的個が確立していないアジア的共同体では、個と神との葛藤をめぐるランケ的な実証主義が、深いところでは受容されなかったという話だったと思います。アジア的共同体は、個よりも共同体の集合性が強く、またその共同体の意志が、首長に…

あなたは現代で、国家にとって不都合な事実を教えることができなくなると思っているようだが、大学の講義で好きなだけそれらに触れることができ、ネットで閲覧することができ、図書館で見ることができる。日本では杞憂に思える。 / 久米邦武筆禍事件のようなことは、現在でも起きているのでしょうか。また、当時は、表現の自由を保障するものはなかったのでしょうか。

まず、この世界は大学へ行くことのできるひと、ネットで自由に情報を検索できる人、図書館に自由に出入りして書物を閲覧できる人だけによって構成されているわけではありません。そうした環境にない人は大勢いますし、そうした環境にあっても利用しない人も…

純粋史学と応用史学の分離の問題について、もし生徒たちが大人になって、事実を知ったらどうなるのでしょうか。また、実証主義史学は依拠する史料を史書や古記録などとし、江戸期以前の物語や稗史を否定したとありますが、例えば物語は伝統文化として意味があったはず。否定することに問題はなかったのですか?

戦前・戦中においては、応用史学の知識で教育された人々が、純粋史学の研究成果に触れることは、機会としては多くなかったはずです。大部分の人々は、「皇民教育」を受けてその内容を信じ、国家主義的な思想や行動原理を持つに至ってゆくのです。また物語の…

明治大正期に、北海道大学等がアイヌの墓を暴いて強引に研究資料を集めていたとの記事を読んだことがありますが、史料編纂国史校正局などの史料収集も、強引に民間の史料を徴集したりしていたのでしょうか。

一般の人々を相手に恫喝的に史料を収集することは、建国間もない明治政府の正当性を動揺させますので、一応はきちんとした手続きを踏み、買取や借用などが行われたはずです。しかし文化的には混乱期でもあり、とくに廃仏毀釈が吹き荒れた情況においては、古…

歴史をそのままに受け取り、個人の意見や人為的な教訓を加えようとしない、これは理想的な理念だと思いますが、もし第一次史料の時点ですでに私見が入っており、同じ件について他に史料がないときなどは、どう対処したらよいのでしょう。

さまざまなレベルでの比較という方法があります。例えば、古代において、Aという人物がある事件に際して取った行動を検証するとします。それについて書いた記録はひとつしかなく、同一記事については比較対象がない。しかし、例えばAが所属している氏族の…

実証主義歴史学が主流となった現代では、教訓を重視する歴史の現在主義は非アカデミズムの世界でも存続しているとのことですが、例えば第二次世界大戦などから得た教訓は、今の学問では対象にならないということでしょうか。

現在の歴史学者のほとんどは、研究の実践と、個人としての政治的立場の表明は別々だと考えています。ですから研究自体においては、教訓的眼線を差し挟むことはしませんが(つまり、「この事実は現在における教訓となるだろう」といった結論の学術論文はほぼ…

江戸時代に誕生した国学には、皇国史観と共通する考えが多いと思います。したがって、ある時期においては、国学から皇国史観への流れこそが本流であり、実証主義歴史学が例外的なものであった情況が存在したと思うのですが?

そうだと思います。西洋史の方法論に依拠した実証史学は、まさに特殊です。皇国史観の方が、前近代の考え方に近い部分があった。もちろん国家の強制は大きいですが、それでも社会の需要にある程度応える側面を持っていたからこそ、強く浸透していったのだと…

近代歴史学のディシプリンがスタートしたとき、ドイツ実証主義に基づく西洋史部門がまず発足し、それに対置される形で国史も発足したという理由がよく分かりません。西洋を手本にするなら、西洋史だけでよいのではないでしょうか。 / 国史学科の設置はリースの申請によるとのことですが、この頃はまだナショナル・ヒストリーへの志向はなかったのでしょうか?

史学科の設置は、やはり最終的にはナショナル・ヒストリーを構築するための学問的根拠であり、その担い手となる研究者を養成するための機関でもあった。それゆえ、国史学科が設置されてゆくのは当然といえます。リースの申請に至るまでは、すでに民間で福沢…